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感染症と観光 ―― 持続可能な社会のための観光学 Vol.2

感染症と観光 ―― 持続可能な社会のための観光学 Vol.2

パンデミックは、その時代に過ごす人にとっては間違いなく悲劇です。健康上のリスクとなるのはもちろん、経済的なダメージや、行動の自由の制限など、さまざまな被害があります。

一方で、歴史を振り返れば、感染症は新しい文化を創造する原動力でもありました。そしてその文化は、今日、重要な観光資源になっているものも少なくありません。奈良の大仏や隅田川花火大会、ハワイのワイキキビーチ、システィーナ礼拝堂なども感染症がなければ存在しなかったかもしれないのです。

新型コロナウイルスと観光

感染症と観光の関係から話を始めよう。近年、感染症の危機は、新型コロナウイルスに限らない。2003年には中国南部の広東省を起源とした重症な非定型性肺炎の世界的規模の集団発生が、重症急性呼吸器症候群(SARS)の呼称で報告された。幸い日本国内では感染拡大とはならなかったが、アジアやカナダを中心に32の国や地域に拡散した。そのため日本人の海外旅行の自粛が相次ぎ、当時勤めていた旅行会社が大きな業績不振に陥ったことをよく覚えている。

新型コロナウイルスの封じ込めが成功していると言われている台湾は、その時の教訓を活かしている。また2012年には、サウジアラビアやアラブ首長国連邦など中東地域で中東呼吸器症候群(MERS)が感染拡大した。

この2つの感染症と比べて、新型コロナウイルスの最も大きな特徴は、地域偏在なく全世界が共通の危機に直面したことである。SARSが流行した2003年と新型コロナウイルスが感染爆発する前年2019年の統計を比較してみよう。

国連世界観光機関(UNWTO)の報告によれば、世界の国際観光者数は2003年から2019年の間に1.8倍の約14億人となり、震源地となった中国人の海外旅行者数は4.8倍の1億4千万人まで増加した。中国は日本の人口より多い人びとが、世界中を旅行していたことになる。

ちなみに中国の海外旅行者数は既に世界一となっており、この点でも中国のプレゼンスの大きさがわかる。世界の人びとの移動と交流の急拡大が、COVID-19のパンデミックに影響したものと考えてよいだろう。

多民族社会ハワイの本当の理由

人間の移動と交流によって感染症が伝播するケースは、日本人の海外旅行先に人気のハワイの歴史にも隠れている。ハワイ州の統計から現在の民族構成を調べると、人口に占めるポリネシア系住民(ネイティブハワイアン)の割合は23%程度である。以下白人系18%、日系17%、フィリピン系10%となっている。

ネイティブハワイアンの混血が25%と最も多くなっているのも特徴である。つまりハワイは、大多数を占める民族がなく、すべての民族がマイノリティである多民族社会と言える。このハワイの多民族社会の成り立ちにも、感染症が影響している。

1779年イギリスの海洋探検家ジェームズ・クックとともに梅毒、淋病、結核、インフルエンザが上陸し、さらに1804年には腸チフスが流行したことがわかっている。そして、1779年に50万人いたハワイ王国の人口は、1853年には8万4000人にまで激減した。これに伴い、入植した西洋人企業家たちが始めたサトウキビプランテーションの先住民労働者も減少した。

そこで、先住民の大量死で激減したサトウキビ農場の労働者として、日本を含むアジアから大量に移民させたのである。最初の日本人移民団は、明治元年(1868年)の渡航で「元年者」と呼ばれている。この移民政策は、その8年前に咸臨丸でサンフランシスコから帰路で寄港した勝海舟に対して、ハワイ王国カメハメハ四世から要請があったことによる。通訳はジョン万次郎であった。
感染症による先住民の大量死と移民の流入。この2つの要因が、18世紀末までポリネシア系住民による安定した単一民族であったハワイを、今日のような多民族社会へと変化させていったのだ。ハワイに日系人が多い背景にも、ハワイの感染症による人口減少が影響していた。

ハワイ以外にも人びとの移動と感染症の関係を示す事例は枚挙にいとまがない。オーストラリアのアボリジニ、南アフリカのコサイン族が、ユーラシア大陸の病原菌がもとで大量に死んでいる。1492年にコロンブスがやってきたときにおよそ800万人だったイスパニューラ島(ハイチとドミニカ)の先住民の数は、1535年にはゼロになってしまったという記録もある。
1875年、当時のフィジー諸島の人口の4分の1が、オーストラリア訪問から戻ったフィジー人酋長とともにフィジー諸島に上陸した麻疹の犠牲になった。

そして、フィジーを植民地として統治していたイギリスが、同じく植民地化していたインドから大量の移民を砂糖きびのプランテーションの労働者として移住させたのだ。現在のフィジーでインド系住民が全人口の40%を占めている背景には、感染症による先住民の大量死があったのだ。

感染症による悲劇と創造

人びとの移動と交流によって感染症は先住民社会に打撃を与え、歴史の大転換となった。そしてまた、新たな移動様式と文化を創造した。
たとえばペストが流行した中世イタリアでは、40日間入港する船を停泊させ検査される措置をとったことが現在の検疫(イタリア語で40日を意味するQuarantine)の起源となり、新たな移動様式が生まれた。コロナによって痛い目にあった私たちは、ワクチンパスポートなどの新たな移動様式を生み出すだろう。

感染症による文化創造という点では、日本でも例は多い。奈良東大寺の大仏は、朝鮮半島から使節を通じて入ってきた天然痘が朝廷内に大流行し、それを鎮めるために聖武天皇によって建てられたものである。それによって、仏教が国教化したきっかけにもなった。

また、京都三大祭りのひとつの祇園祭は、平安時代(869年)に、京の町で大流行して大勢の死者が出る悲惨な状況にあった疫病を、鎮めるための神仏祈願として始まったと言われている。そして、隅田川花火大会は、徳川吉宗の時代に大飢饉や流行した疫病による死者供養と除去を祈願して始まったものだ。さらに、日本の元号の改元で最も多い理由は、新天皇即位ではなく、疫病・自然災害など「災異改元」である。それは実に百回を超える。病原菌の存在がわからず、宗教が医療の役割を担っていた時代である。感染症によって生まれた有形・無形の文化財のおかげで、現代の私たちは旅を楽しみ、観光経済を潤している。

ペストが遠因で起こったイタリアのルネサンスは、新興勢力メディチ家によって導かれていく。その中心地フィレンツェで、ボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロやラファエロによる数多くの芸術作品が生まれた。

その流れを受けて、ローマ教皇ユリウス2世は、ミケランジェロにバチカンのシスティーナ礼拝堂、サンピエトロ大聖堂などをつくらせ、ローマのルネサンス最盛期をもたらした。その後、ルネサンス期に創造された文化財は、いまも世界中の人びとを魅了する引力を持ち続けている。ルネサンスの資産のおかげで、現在のイタリアは世界有数の観光文化大国として恩恵を受けている。

ハワイも同じである。ハワイの象徴であるワイキキビーチは、もともとタロイモを栽培するような沼地だった。米国資本によって開発されてビーチへ変貌するのは、今から100年前頃である。感染症による先住民の人口減少がなければ、ハワイ王国はアメリカに併合されず、ワイキキビーチ、ウクレレ、パンケーキもなかったかもしれない。

過去の歴史を遡れば、人間は何度も病原菌に苦しめられ、その都度それを乗り越えてきたことがわかる。しかし、それだけではない。感染症の流行は新しい文化を創造し、新しい時代の転換点となったことも歴史のもうひとつの側面である。

それを契機に生まれた数々の文化が、現代社会の豊かな観光文化を支える資産として私たちに恩恵を与えてくれている。もしかすると、あなたの街の文化財の起源にも、感染症が影響しているかもしれない。一度、調べてみてはどうだろうか。

プロフィール
鮫島卓(さめしま たく)
駒沢女子大学 観光文化学類 准教授

立教大学大学院修士課程修了。専門は観光学。旅行と創造性・イノベーションの関係を研究。HIS入社後、経営企画、ツアー企画、エコツアー・スタディツアーなど事業開発、ハウステンボス再生担当。JICAの専門家としてミャンマー・ブータンで住民主体の持続可能な観光開発(CBST)を経験。2017年より駒沢女子大学観光文化学類准教授。帝京大学経済学部兼任講師。ANA旅と学びの協議会アドバイザー、澤田経営道場講師。

この記事を書いた人

サスタビ編集部

「サスタビ」こと「サステナブルな旅」とは、旅を楽しみながら、広く地球環境、社会、経済に配慮し、旅先の人々の暮らしに敬意を払い、旅すること。 そうして、未来世代に遺すべき資産を守り、学び、伝え、持続可能な社会を作っていき、「責任ある旅人」が世の中に増えることを目指しています。

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