サステナビリティや持続可能性をめぐっては、地球環境や自然資源、社会など、様々な事柄を対象に議論されています。ほかにも、サステナブルな経済や、サステナブルな地域、サステナブルな開発などたくさんありますが、サステナブルな文化もよく耳にするもののひとつですね。
文化という言葉は、その地域の特色や場所の「らしさ」を説明しようとする際にとても便利な言葉かもしれません。観光の文脈でも、たとえばガイドブックをめくるとすぐに「○○地域の文化を楽しもう」「○○文化を体験しよう」という表現が目に入ってきます。また、青森といえばねぶた、和歌山といえば捕鯨というように、地域特有のお祭りや生業、行事を指して地域文化や伝統文化と呼ぶこともまた一般的ですね。
ではサステナブルな文化を目指すとき、どのような文化像をイメージすればよいのでしょうか。文化をサステナブルにするとは、はたしてどういう意味なのでしょうか。
サステナブルな文化について正しく考えていくためには、文化という言葉について、一歩立ち止まって考えてみる必要があります。なぜなら文化のとらえ方によっては、サステナブルな文化の実現に対して逆効果を招いてしまう危険があるためです。それでは文化をどのようなものとして理解すればよいのか、一緒に考えてみましょう。
文化の「あり方」を考える:「あり方」から「生き方」へ
○○地域の○○文化。そのように聞くと、なんとなくそうしたものが実体として「そこにある」ように思うかもしれません。実際にその地域に行けば、「伝統文化」として他では見られないようなお祭りがひらかれていたり、地域の特産物やお土産にその地域らしさが反映されていたりすることを、私たちは知っています。
そう、文化というものは確かに、行事や食べ物、道具、言葉や振る舞いなどを通じて、実際に目の前にあるように思えます。時代が過ぎゆくなかでも人びとの間で共有されつづけてきたものであり、これからもずっとつづいていくものとして、文化は「ある」。このような理解は、一面では非常に説得力があります。
しかし、あるようにみえるその「文化のようなもの」は、昔からずっと変わらずにそこにありつづけてきたわけでは必ずしもありません。それは時代とともに変化し、また人びとの日々の生活や振る舞いが繰り返されていくなかで形を変えてきました。ときには偶然やハプニングをも巻き込みながら、新しく創造されてきたものでもあるのです。
とくに観光は、新しい人が外から次々と入ってくる機会を増やすので、観光客向けの新しい文化が創造されるきっかけになりやすいものです。外部の人にもわかりやすく、よりよく見せるために、「自分たちらしさ」や「地域らしさ」が創造されたり再解釈されたりします。そのプロセスを通じて、文化と呼ぶべきものはその姿をどんどん変えてゆくのです。
いわば、文化は「生きている」と言えるでしょう。それはつねに、変化に開かれています。
旅の「期待外れ」は文化の先入観のせい?
- 期待していたものではなかった
- もっと派手だと思った
- ○○地域らしくない
食べ物にせよ景観にせよ、あるいは旅先で出会う人の言動にせよ、このように旅や観光を通じてがっかりしたり、期待外れだと感じてしまったりすることは、きっとよくあると思います。
そうした素直な気持ちは、旅先の文化や「らしさ」に対する固定観念によって生じます。つまり、あなたが事前に期待し抱いていた観光地のイメージや固定観念と実際の経験とのあいだのズレが、「がっかり」の原因となるのです。
○○地域=○○文化/らしさという図式を解きほぐすことが必要です。変わってしまった文化や景色をニセモノだと批判したり、文化の消失だと嘆いたりする視点では、変化してゆく文化のイキイキとした側面が見えなくなるどころか、地域に対して何らかの「押しつけ」をすることになってしまいかねません。
そのような押しつけは、「○○文化をこれからも守り続けるべき」というプレッシャーを地域の人びとに背負わせてしまいます。何を自分たちの文化と考えるか、どのようなものを「この地域らしさ」と考えるか、そして地域住民のひとりひとりがその「らしさ」にどのように向き合うのかは、人びとに開かれているはずです。
期待の押しつけを辞めることが、対話のスタートラインに
文化をつくる者、文化を維持する者は、その地域の住民だけではありません。また、文化は政策によってトップダウンに決められるべきものでもありません。地域・旅人・行政など様々な立場の人びとが対等に向き合うことで生まれる関係性こそが、文化の担い手にほかなりません。
いうなれば、変化のなかでつづくもの、変化のなかで創発されてゆくもの。それが文化だと言えるでしょう。
だとすればサステナブルな文化とは、そのような変化のサイクルのなかで、旅人や外部の人もその環に交わりながら〈ともに〉創りあげていくものに違いありません。文化は担い手がいなければ変化することもつづくこともできないのですから。そして、その変化のサイクルそのものを前へ前へとらせん状に駆動させてゆく協働的な営みそれ自体が、文化をサステナブルにしてゆくのでしょう。
文化が変化してゆくことを受け入れ、その変化に自分自身も身をゆだねること。この意識が、旅人と地域との対等な関係性の第一歩なのかもしれません。
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