リジェネラティブとサステナビリティ
リジェネラティブ(regenerative)という言葉・考え方が注目を博しています。
地球規模での環境問題やエネルギー問題、資源の問題が可視化されているこんにち、サステナビリティはその負の影響を低減またはスローダウンさせ、次世代に現環境を遺そうとすべく試行錯誤されています。
しかし、サステナビリティはあくまで「現状維持」を目的とした概念であるがゆえに、すでに一定レベルの環境悪化が生じている現状を「より良くする」ことは難しいと考えられています。「リジェネラティブ」は、サステナビリティがもつその限界を乗り越えるべく考案されたキーワードだと言えるでしょう。
訳すれば、「再生」「回復」、あるいは「再始動」という意味として理解できるリジェネラティブ。単に現状維持と悪化の低減を目指すだけでなく、現状よりも「よい」環境をつくる志。こんにち、農業や水産業、さらには建築や都市計画においてもこのリジェネラティブは意識されています。
たとえばリジェネラティブ農業は、自然のもつ生態系を正常化することや、有機農法による土地への負担軽減を試みることによって、地球環境を土壌から改善していこうとする広い視野を有しています。また水産漁業では海藻類がもつ水質改善能力に注目し、それを活用しつつ人間による環境負荷を低減した漁業を行う取り組みが広がりつつあります。
また都市計画でも、無尽蔵に開発を進めコンクリートに覆われた土地を拡大させるのではなく、雨水や植物の利用を通じて自然のエコ・サイクルを都市に取り入れることで、自然と調和し、かつ災害や地球温暖化に対する抵抗力・回復力も備えた都市をつくろうという試みが生じています。
これらの取り組みは、ゼロ・ウェイストやゼロ・カーボンといった取り組みを前提に、自然を無理なく活用し共生しながら自然由来の再生力・回復力を活かした産業を展開させることで、現状維持をこえた、人間と自然との調和のとれた「より良い」地球環境づくりを目指すものです。
・ゼロカーボンパークに認定された乗鞍高原とワーケーションについてのレポート↓
サステナビリティは、もう古い?
リジェネラティブは言うまでもなく重要な考え方であるでしょう。一方で、リジェネラティブ概念との対比のなかでサステナビリティが「古い」とみなされたり、リジェネラティブがサステナビリティの「次」にあるものとみなされたりすることには、慎重な検討がまだ必要であると考えられます。
ここで疑うべきは、サステナビリティはほんとうに「現状維持」以上の意味と可能性をもたない理念であるのか?という問いだと思われます。
以前の記事で私は、「ポジティブ・サステナビリティ」という言葉をもちいて、「減らす/保つサステナブル(環境負荷をゼロマイナスにしようとするサステナビリティ)」から「つくるサステナブル」への移行の可能性について検討したことがあります。
サステナブル・ツーリズムにおいて旅人は、自身の旅が生じさせる負の影響を無くそうとするだけ(「減らす/保つサステナブル」)でなく、地域の諸課題に地域とともに向き合い、ともに解決に向けて手をとり合うことをつうじてよりポジティブな影響を生産していこうとする態度が重要となる、というお話をしました。何かをサステナブルにするということは、すなわちその土台をより強固にするということ――たとえば社会であればその足腰を鍛えること――と重なるのであり、したがってサステナビリティ概念は、単純な現状維持をこえたポジティブな意味合いをすでに内包しているのです(詳しくは上記記事をご覧ください)。
そしてポジティブ・サステナビリティを志向するサステナブル・ツーリズムにおいては、旅人はヨソ者であると同時に、地域を「自分事」として考える主体となります。一時的な訪問者でありつつも、地域の人びとと協働作業を試み、地域の課題解決や文化継承、自然保護に貢献することができる、いわば「一時的な社会の成員」になる可能性を秘めているのです。この点についても、上記の【後編】で詳しく論じました。
エコツーリズム:「一時的な社会の成員」を前提としたエコ・サイクル
旅人という一時的な訪問者が、地域の成員、つまり地域のメンバーの一人に一時的になり、地域住民と同じ方向をまなざすこと。それが「一時的な社会の成員」の意味であり、サステナブル・ツーリズムの可能性でした。
この特徴がとくにあらわれている一例として、エコツーリズムを挙げることができます。エコツーリズムの定義的な特徴は、1)小規模で比較的高額であること、2)観光客が地域の自然や歴史、文化に敬意を払い、関心を示すかたちで進行すること、かつ、3)地域における観光客の消費(経済)が、地域の観光保全のための支援に結びついていること、といった点にあります(Belsky, 1999;Boo, 1990;Brandon 1996)。
ここで重要なのは3)の要素です。観光客が落とすお金が、地域の文化や自然の保全・保護の一助となること。これは言い換えれば、地域の諸活動を持続可能にするためのサイクルに、観光客の来訪と消費それ自体が組み込まれているということです。観光客を前提としたエコ・サイクルの構築とも言うことができるでしょう。
・環境省による第1回エコツーリズム大賞も受賞した「ピッキオ」(長野県・軽井沢)の活動や「星のや軽井沢」についてはコチラ↓
ヨソからやってくる一時的な訪問者を前提とした社会と自然のサイクル。それは悪く言えば「依存」ですが、捉え返せば、「ヨソ者が本来的に地域のウチに組み込まれている」ということでもあります。そもそも、地域のヨソに依拠しないまちづくりや地域づくりは、こんにちの過疎や少子高齢化問題といった地域の諸課題をみるに、一定の限界を抱えています。むしろ「関係人口」や「交流人口」など地域外部の人びとの来訪と交流を積極的に組み込んだ地域づくりが主流となりつつあることは間違いないでしょう。
その意味で、エコツーリズムは一側面において先駆的であったということができそうです。旅人/観光者の来訪が単なる「消費」に終わらず、むしろ以降の地域社会や自然、文化の維持・継承に結びつく仕組みづくりは、ポジティブ・サステナビリティであるといえます。そしてその仕組みにおいて旅人は、地域に対する貢献を確かにもたらすことができるのです。
コラム:ただし、先述したエコツーリズムの定義における3)の要素を持たず、単に自然を楽しむアトラクションを組み込んだ観光をエコツーリズムと標榜する観光商品やツアーが存在していることも事実であることには、触れておきたいと思います。
リジェネラティブなサステナビリティを目指して:サステナビリティがもつ概念的な可能性
エコツーリズムの例や、ポジティブ・サステナビリティの可能性を踏まえれば、サステナビリティはたんなる「現状維持」に尽きることはありません。だとすると、リジェネラティブとサステナビリティとを分けて考え、前者を後者の「次」のものとして順位づけることはどこまで有意義なのでしょうか。サステナビリティがたしかに「現状維持」の「ニュアンス」をもつにしても、ニュアンスだけでその概念・理念の可能性を棄却することはもったいないと思われます。
もちろん、新しい概念に注目することは悪い事ではありませんが、いっぽうで既存の概念がこれまで蓄積させてきた知見や知恵、課題と可能性を慎重に吟味したうえでなされるべきことであるでしょう。もっと言えば、リジェネラティブ概念が再生と言うときの「より良き」という価値判断は慎重になされるべきものであり、資本主義的・市場主義的な回路といかに距離を保った「前進」の仕方がなされうるのかという点について検証が待たれるものと考えられます(もちろん、それはポジティブ・サステナビリティも同じです)。その意味では、「現状維持」すなわち前進を止めよう・スローダウンしようという含意をもつサステナビリティ概念のほうが、資本主義や前進主義に抗するシステムを想像する可能性に開かれている可能性もあり、したがってまだまだ容易に手放されるべき理念ではないと、筆者は考えています。
リジェネラティブとサステナビリティは対抗概念ではなく、むしろリジェネラティブなサステナビリティ、あるいはサステナブルなリジェネラティブといったふうに、両者の利点をうまく含みこんだ考え方が構想されるべきものだと思われます。双方の可能性と課題は、まだまだ検討の余地に開かれているでしょう。
【参考文献】
Belsky, Jill M. 1999. Misrepresenting Communities: The Politics of Community-Based Rural Ecotourism in Gales Point Manatee, Belize. Rural Sociology 64(4): 641-666.
Boo, Elizabeth 1990. Ecotourism: The Potentials and Pitfalls. Vols. 1, 2. Washington, DC: World Wildlife Fund.
Brandon, Katrina E. 1996. “Ecotourism and Development: A Review of Key Issues.” The World Bank. Environment Department Paper No. 033 Toward Environmentally and Socially Sustainable Development (https://documents1.worldbank.org/curated/en/101351468767955325/pdf/multi-page.pdf).
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