サスタビを知る「サステナブルな旅って、なに?」―そんな素朴な疑問について、さまざまな視点から考えます。

競争なきサステナブルツーリズムへ:ありふれてたって、いいじゃない

競争なきサステナブルツーリズムへ:ありふれてたって、いいじゃない

サステナビリティをキーワードとする観光のマーケットが広がりを見せています。

「サステナブルであること」それ自体が、魅力的な観光資源として(再)提示される。その文脈において、観光活動がもたらす負のインパクトの最小化と観光振興との両立、ひいては持続可能な社会の実現の方途が模索されているといえるでしょう。

今回の記事ではそうした動向を踏まえ、「観光的魅力としてのサステナビリティ」を考える際に注意すべきポイントを考えてみたいと思います。それは、観光において重要な価値とみなされている、「独自性」「唯一性」を一歩立ち止まって考えてみることと重なります。

地域独自の魅力を探そうとすること。ほかの場所にはない、唯一の価値を創ろうとすること。あるいは、ほかの地域では取り組まれていないような先端的なサステナブルな取り組みを模索すること。そうした取り組みが陥りやすい思わぬ落とし穴について、「宝さがし」を例に考えてみましょう。

宝さがし

観光を用いた地域振興において、「宝さがし」は重要なキーワードとされています。

地域に眠っている魅力や資源(=宝)を、地域住民自身の手によって発掘(あるいは創出)することを通じて、観光を盛り上げ、地域活性化につなげようとするものです。地域の人びとが「当たり前」「日常的でつまらないこと」と思っていたものが、じつは観光的な魅力を秘めているかもしれない……宝さがしは、そうした予感を出発点としています。

宝さがしには、私見ではおそらく次の3つのポイントがあります。

  1. 住民参加の実現:地域住民がそのプロセスに参加する点
  2. 内発性:外部者の目線ではなく、地域内部の目線から草の根的に取り組みが進む点
  3. 総合性:地域住民が地域により関心を持つことで、観光振興だけでなく、地域の総合的な活性化が見込まれる点

宝さがしは、地域住民の参加と地域への関心の高まりを実現させながら、地域独自の魅力を開拓していくことができる方法として、地域・観光振興において非常に重要視されてきました。

コラム:いっぽう、宝さがしもまたさらなる議論を要する点を含んでいます。別の視点からみれば宝さがしとは、これまで地域にとくに関心を向けてこなかった住民に対し、「より地域や観光に意識を向けよ」「地域の魅力を発掘せよ」と訴える論理でもあります。批判的(クリティカル)な観点からすれば、宝さがしは「ローカル・コンシャスな主体」を要請する、という言い方もできるかもしれません。「参加」がどこまで主体的なものであるのか、といった点は併せて検討される必要がありうる、という点は急いで付け加えておきたいところです)

終わりなき追いかけっこ

「地域独自の魅力」は、しかしながら、一筋縄ではいかないものです。

「どこにでもある風景」や「どこででも食べられるもの」では、観光客の興味を惹くことができません。ゆえに、その場所にしかない何か、そこに行くからこそ体験できる何かを提示することによって、他でもないその場所に行きたいという欲求を喚起することが目指されていく。これが、いわゆる観光開発の基本的な姿勢となっています。

そのとき、唯一性や独自性はしばしば、「他との比較」のなかで追求されることとなります。いえ、あるものが唯一であるか、独自であるかを評価するためにはかならず比較の手続きが必要となる、と述べるべきかもしれません。あらゆる「すでにあるもの」を見通さなければ、それが唯一であるかどうかがわからないのですから。

比較が不可避であること。これが「地域独自の魅力」をやっかいなものにしてしまう原因です。なぜなら、比較はごく容易に競争へと横滑りしてしまうためです。

「あの地域はすでにこんな取り組みをしている」「この地域はあんなアイデアを活かしている」「私たちも負けていられない!ほかの地域にはないものを探さなければならない…!」

勝ち負けや、発展の速度、優れたアイデア/劣ったアイデア、先進的な取り組み/途上…観光的価値の提示においてしばしば使われるこうした対比表現は、あらゆるものを一本の数直線上に並べ、優劣をつけるロジックにもとづいています。

競争のようなかたちで独自性・唯一性が追求される場合、そのレースには終わりが告げられません。次から次へと「最新商品」が登場・販売され、そのたびに消費者の欲求が新たに喚起されてゆく市場経済の構造と同様に、かりに何らかのアイデアを用いて一時的に「地域独自の魅力」開拓を達成できたとしても、すぐに他の地域が追随してきます。また、時間が経てば次第にそのアイデアの「新しさ」は損なわれていくでしょう。

そうして「独自性」は、どこか似たり寄ったりのコンセプトや景色を生みだしていきます。結果、「さらにさらに新しい独自性を探し出さなければ…!」と、常に前進しなければならないような強迫観念に、いつまでも追い立てられてしまうのです。

もちろん、こうした競争原理こそが発展を生みだす、という考え方も根強いでしょう。しかし、そうした競争のロジックが、環境や社会に負荷をかける開発を押し進めたり、人びとの疲弊を生んだりしてきたことを忘れてはいけません(競争原理を駆り立ててしまうことがなぜ問題なのか、という点については、サステナビリティをめぐる「基準」の存在についての議論で紹介しました)。

当該記事はこちら⇒「読みこなし、読み替える:サステナブルの基準の多様化へ向けて」)。

「新しさの喪失」こそ「サステナブル」の真髄かも?

「サステナブルさ」もまた観光的魅力を構成する一要素となっている以上、唯一性・独自性と同じように「サステナブルさ」が競争を生んでしまうことには注意が必要だと思われます。その取り組みの新しさや、優位性、独自性を観光的魅力として提示することが、果たしてサステナブルな社会の実現という最終的なゴールのなかでどう有意義であるかを、いまいちど考えてみることが必要でしょう。

そもそも、サステナブルな取り組みにおいて、新しさや、独自性・唯一性は、もしかしたら必要ないのかもしれません。なぜならサステナブルな取り組みは、普及し、広がることによってその意味を高めるものであるはずだからです。

言い換えれば、「新しさ」が失われていくこと、唯一でも独自でもなんでもなくなっていくことこそ、サステナブルな取り組みの真髄なのだと思われます。新しいものでも特徴的な事柄でもない「当たり前のこと」となっていくとき、サステナブルな取り組みがゴールとする、持続可能な社会が実現してゆくのではないでしょうか。

「サステナブルさ」が唯一性や独自性、新規性とは相性の良くない概念であるならば、その模索の仕方も別軸でなされるべきでしょう。たとえば、他の地域や他の取り組みとの比較・競争をしなければ価値を見いだせないような「外向きのサステナビリティの視点」ではなく、徹底して地域に内在してサステナブルな取り組みを模索する「内向きのサステナビリティの視点」はあり得そうです。

そもそものところ、あらゆる取り組みはそれがなされるローカルな文脈との関係の中にあります。どんなサステナブルな取り組みも、特定の地域で、特定の人びとやコミュニティによって、特定の時期に、特定の文化や背景にもとづいて実践されるわけですから、その意味で唯一性や独自性は見いだすまでもなく「そこにある」といえるでしょう。

ありふれてたって、いいじゃない。

サステナビリティが新しくもなんでもない社会。その実現に、競い合いは意味をなさない可能性があります。観光において「ありふれていること」はマイナスイメージですが、サステナビリティにおいてそれは悪い意味ではありません。では、それらが組み合わさったサステナブルツーリズムは、どうすべきなのでしょうか。これは重要な問いだと思います。

ありふれてたって、いいじゃない。そのような考え方も大切かもしれませんね。

 

この記事を書いた人

石野 隆美

立教大学大学院観光学研究科、博士課程後期課程に在籍中。専門は文化人類学、観光研究。北海道札幌市出身。論文に「ツーリスト・アクセス――「アクセス」概念が拓くツーリスト像の検討に向けた理論的整理 」(『観光学評論』9(2)、2021年)など。また分担執筆に『よくわかる観光コミュニケーション論』(ミネルヴァ書房、2022年)、『アフターコロナの観光学――COVID-19以後の「新しい観光様式」 』(新曜社、2021年)など。

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