楽しさとサステナビリティの両立
「旅を楽しむこと」と、「サステナブルな旅をすること」。
このふたつを両立させるためには、いったいどうすればよいでしょうか。今回の記事ではこの点について考えてみたいと思います。
サステナブルな旅は「ガマン」ばかり?
持続可能な社会の実現が地球全体で目指されようとしている今日、私たちの生活や社会のあり方をサステナブルにするための多くのルールが考案されてきています。「二酸化炭素の排出量を減らそう」「フードロスを無くそう」「飛行機に乗ることを控えてください」等々、私たちの行動様式や選択に関わるルールたちです。
旅や観光に関わるものも多いですね。「ポイ捨てはしない」「宿泊施設での節水や節電を意識する」「マイ○○を持参する」「近場観光をする」「地産地消を心掛ける」……それらを意識した旅のあり方を実践していくことは、言うまでもなく大切なことだと思います。他方で、そうしたルールや規範から自由なかたちで「旅や観光は純粋に楽しみたい」「せっかくの休みだから自由に過ごしたい」と感じる気持ちも、きっと私たちの心には存在しています。
サステナブルな旅をすること=そうした「純粋に楽しみたい気持ちをガマンすること」と捉える人は当然いることだと思います。
ガマンはいずれ「ふつう」に
サステナブルな旅や観光、社会の実現を目指していくうえで、その「ガマン」は必要不可欠なものかもしれません。なぜならサステナビリティは、これまでの私たちの生活や行動のあり方に対する「反省」から生まれてきた概念であり、運動であるからです。これまでのエネルギーの使い方、これまでの生活の仕方、これまでの自然との関わり方……等々がもたらしてきた悪影響を省みて、「このままではいけない」という思いから立ち上がってきたのが持続可能性の考え方にほかなりません。
その意味で、サステナビリティは一種の「禁欲」や「ガマン」と近しいかもしれません。他方で、サステナビリティの概念が目指しているのは、そのガマンがいつか「当たり前」「スタンダード」「ふつう」へと置き換わっていくことであり、その考え方が「もはやガマンすら感じられないほど当たり前に浸透し社会に広がっていくこと」といえるでしょう。
ガマンに感じるのは、これまでの行動や思考のあり方が「自由過ぎたから」。そのように、これまでの自分の生き方を内省し相対化することが、きっとサステナブルな社会や旅の拡大のためには求められているのだと思います。消費者中心主義的な考え方(お客様は神様だ)や、営利至上主義(利潤を最大化するために手段を厭わない)などの価値観もまた相対化を求められています。
「楽しさ」も大切にしたい
とはいえ、たとえ理屈ではサステナビリティの大切さや意義をそのようにして理解していたとしても、「それで「旅の楽しさ」が損なわれてしまうのは違う気がする(もったいない)」という気持ちもわかります。
「せっかくの観光の機会なのに」という思いと、「サステナビリティを大事にすること」をどう両立していくことができるのか。「サステナブルな旅」や「持続可能な観光」をめぐって最もキーとなるポイント、考えるべき問いはここにあるように筆者は思います。どちらも損なわれるべきではなく、双方を尊重した新しい旅や観光のあり方を想像/創造し、実践していくこと。それが求められていると思います。
「サステナブル」は目的?それとも手段?
もしかするとそのことを考えるヒントは、「サステナブルな旅」は手段なのか、それとも目的なのかという問いにあるかもしれません。
「サステナブルな旅」において、目的となるものは、「サステナブル」にあるのでしょうか。それとも「旅」にあるのでしょうか。みなさんはどちらだと考えますか?あるいは、どちらにあるべきだと思いますか?
きっと答えはひとつではありません。ただ筆者の印象としては、「サステナブルを目的化すること」は、どこか息苦しさを招きかねないとも思います。もちろん、「地球や社会を持続可能なものにするために何かを実践する」という意味で、行動が手段となりサステナビリティが目的となることは、大事なことだと思います。
他方で「サステナブルにすること」が目的化したとき、「あれをしてはいけない」「これをすべき」といったルールや規範的なものが前面化してくる側面があることも想像できます。それは「楽しさ」を見失ってしまう危険とともにあります。
「大きな目的」と「小さな目的」
ここで提案したいのは、「目的」となる部分を「大きな目的」と「小さな目的」に分けて考えることです。
「サステナブルな社会をつくること」。これはおそらく、最後の最後にあるゴール=目的と言っていいでしょう。【「大きな目的」としてのサステナビリティ】です。
それに対して、「サステナブルな○○」の「○○」の部分自体をめいっぱい楽しむという「小さな目的」を考えることができます。「サステナブルな旅」において、「小さな目的」は「旅を楽しむこと」。かつ、それをつうじて「大きな目的」としての「サステナブルな社会の実現」へと、自分の旅を結び付けようとすることができれば、旅を楽しむこととサステナブルに旅することとを両立させることができます(図1参照)。
この図において、「サステナブルな旅」は「大きな目的」を達成するための「手段」でもあり、かつそれ自体を「楽しむ」という「小さな目的」でもあります。しかし後者の「小さな目的」としての旅の楽しさだけを追求したばあい、それはオーバーツーリズムをはじめとする、従来の旅や観光の良くないあり方に結びついてしまいます。
そうではなく、旅それ自体を楽しみつつ、少しだけやり方を「サステナブルにする」ことで「大きな目的としてのサステナブルな社会の実現」へと自分の楽しい旅を届かせること。これが理想です。このとき、サステナブルな社会の実現という「大きな目的」は、旅を楽しむという「小さな目的」の達成を阻害するものではなく、その延長線上にあるだけです。
目的と手段と「やり方」
「サステナブルな社会の実現」という大きな目的から見たとき、旅は「手段」です。しかしその旅にも、「旅を楽しむ」という目的(小さな目的)があってしかるべきですよね。
「旅を楽しむ」という小さな目的からみたとき、「手段」にはあらゆることが当てはまります。美味しいものを食べるとか、行きたいところに行くとか。重要なのは、それらの手段の「やり方」です。そこで少しだけ「サステナブルにやる」ことを考えることができれば、「旅を楽しむ」という小さな目的は「サステナブルな社会の実現」という大きな目的に結びつきます。反対に、「やり方」を奔放にしてしまうと、「旅を楽しむ」という小さな目的だけを追求する従来の旅のあり方に戻ってしまいます。
大事なのは、「旅を楽しむ」という小さな目的を、少しだけ「サステナブルなやり方」で達成することなのです。
「目的」「手段」「やり方」という3軸を少し整理してみましょう。
従来の旅における3軸
- 目的:旅を楽しむこと(だけ)
- 手段:旅を構成する、細かな行為。食べる、行く、観る、等々
- やり方:自由、自己の欲求に忠実に
サステナブルな旅における3軸
- 目的大:サステナブルな社会を実現すること
- 目的小:旅を楽しむこと
- 手段:旅を構成する、細かな行為。食べる、行く、観る等々。従来の旅と同一。
- やり方:サステナブルに
つまり、旅を楽しむという目的それ自体は一切変える必要はないのです。サステナブルな社会を実現することと、旅を楽しむことは、どちらも「目的」にほかならないのですから。必要なことは、その楽しむ「やり方」を少しずつ「サステナブルに」していくこと。「サスタビ20ヶ条」をはじめとする、サステナブルに旅をする方法をできることから試してみることが大切なのだと、サスタビは考えています。
おわりに
ここまで、サスタビが紹介してきた「サステナブルな旅」に関する考え方の整理をしてきました。
旅それ自体を、サステナブルな社会の実現のための手段にしてしまうと、旅の楽しさを見失ってしまうかもしれません。あくまで目的として「旅を楽しむこと」を手放さずに、その具体的で細かな「やり方」を「サステナブルに」していくという意識でいれば、旅を楽しむという目的を達成しつつ、同時に、それがサステナブルな社会の実現という大きな目的にも結び付いていく、そのような旅を考えていくことができると考えます。
楽しむことは手放さない。でも、少しだけサステナブルに。そのような気持ちが大切かもしれません。
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