旅と観光、そして社会:個人主義を乗り越える

旅と観光

あなたにとって、旅とはいったい何でしょうか。

そして、社会にとって、旅とはいったい何でしょうか。

 出会いや発見。困難と挑戦。克服。自由。昂り。旅は、しばしばそうした「深い意味」を見いだされてきました。人によって、あるいは目的地や道中に応じて、多様な意味や思いがそのつど込められながら、旅は続けられてきました。

今回の記事では、「観光」と「旅」についてしばしば付されるイメージの違いについて簡単に確認したうえで、旅が個人主義な動機や意味づけを軸にしてきたこと、そして、その個人主義的な性格ゆえに、社会や世界を変えようとするような集団的・集合的な挑戦としての「旅」が実現してこなかったのではないか、という点を考えてみたいと思います。

「旅をつうじてサステナブルな社会を実現する」という大きな目標を達成するためには、もちろん個々人、ひとりひとりの取り組みの積み重ねが大事ですが、それ以上にそのようなゴールを目指そうとする「集合的(集団的)な共通意識」が必要不可欠だと思われます。ひとりひとりの意識がサステナブルな旅と社会に向くことと、その個々人の意識が社会全体により広く広まっていくこと。このふたつが同時に目指されなければ、社会を変えるという大きな渦を起こすことは難しいでしょう。

他方で旅は、自己実現であったり、自分探しであったりと、旅をする自分自身という個人の変化や成長に主眼が置かれ、旅をつうじて社会全体や集団全体に何かをもたらそうとする意識はそれと比較して脆弱だった可能性があります。この、旅が内包している個人主義的な特徴は、もしかするとそうした集団的な「結束」を難しくしてしまっているのではないか――これが今回の記事で考えてみたいポイントです。

 

旅は出会いに満ちている

旅は、これまで知らなかった世界や景色、人と出会うきっかけになります。自分がこれまで生きてきた世界とは違うところへと移動し、ときに道中のハプニングにうろたえもしながら、新しいものと出会う。そして自分自身の変化を感じる。出会いと発見、そして変化といった言葉は旅においてとくに重要なものと考えられてきたといえるでしょう。

また、旅はかならず未知の場所に対してのみ行われるわけではありません。日常的に馴染みのある場所や、何度か訪れた経験のある場所であっても、目線を変えてみたり、いつもは歩かない道を歩いてみたり、地域の歴史や文化を勉強してみたりすることで、まるで旅をしているかのように「再発見」することは不可能ではありません。これまで「日常」であった身近な場所をそうして「異化」し、出会いや発見を探求する旅をすることができます。 

確認する「観光」、発見する「旅」

観光と旅の違いについて、しばしば言及されるのは、観光は「確認すること」を中心としているのに対して、旅は「発見すること」を重視しているということです。

 日常生活から脱し、メディアやSNSであらかじめ見たことのある景色や場所をじっさいに「確認」し、喜び、そしてまた日常生活へと帰っていく。そのような「行って(確認して)帰ってくる」という円環運動は、観光の典型的なイメージとなっています。

 それに対して旅は、これまで知らなかったもの、予想もしていなかったことに出会い、驚くことに意味が置かれてきました。知っていること、見たことあるものを再確認するのではなく、知らなかったこと、見たことのないものを発見することが旅の醍醐味であると。観光はツアー企画や観光まちづくりをつうじて「用意されたもの」を楽しむが、旅は既定路線ではなく自分の足で道を開拓していく。あるいは、旅は自分に変化をもたらす。観光は、変わらない安心感のなかで楽しみをもたらす。そのような対比もしばしば語られるように思われます。

 もちろん、観光と旅の関係はそれほど単純ではありませんし、観光を「確認するだけ」の営為とみなして旅よりも劣った経験であるかのように位置づける思考は、さまざまな文脈で批判・再検討されてきました。ただし、それでもなお、これまでの観光のあり方を反省し、持続可能性やモラルをより念頭においた新しい観光の形を想像しようとするとき、出会いや発見、驚きなどのコノテーション(含意)を付されてきた「旅」的なあり方に可能性が見いだされやすいこともまた指摘できます。

 以上のことを踏まえると、観光と旅、どちらの言葉で自分自身の移動を説明するかという問題はけっして単純なものではないことがわかります。自己紹介で「趣味は観光です」と言うか、それとも「趣味は旅です」と言うか。自分の移動のことを他者から「観光」と表現されるか、それとも「旅」と表現されるのか(そしてそれぞれについてどのような心象を抱くのか)。多くの人が、なんらかの意図や心象のもとに自分自身の移動の説明の仕方を使い分けてきた経験を持っているのではないでしょうか。

 

旅という個人主義

移動を旅と称するか、それとも観光と称するか。その最も大きな違いのひとつは、おそらく観光は「観光産業」を経由してなされる移動である、という点にあります。旅は近代以前から行われてきた営みですが、観光は、鉄道をはじめとする交通産業や、宿泊産業、ツアー産業などの多種多様な産業的な複合体として近代以降に組織され発生したものです。

 また観光は、多くが他者(家族や友人のみならず、見ず知らずの他者も含まれます)と一緒に行動するものでした。パッケージツアーや団体旅行がその典型ですね。こんにち、観光もまた「個人化」し、人それぞれの趣味趣向に合わせた個人旅行や、それに合わせた個人向け観光商品が多く展開していますが、今なお残る観光の代名詞として、たとえば東京の「はとバス」や、ツアー・オペレーターがガイドする団体旅行も健在です。

 旅という場合には、そうした集団的・集合的な特徴は後景に退くように思われます。旅の多くは、一人旅や、友人などの少人数単位で行われる旅となっているといえるでしょう(もちろん、「島旅」など、旅という名前を冠したパッケージツアーや団体旅行も存在しますので、一概には言えませんが)。

 観光と旅のモードと「深さ」

ここで、「本物らしさ」を意味する言葉、「真正性」の追求の深度に応じて観光経験を5つに分類したエリク・コーエンという方の議論を紹介します。コーエンは観光が個人の多様な動機や欲望にもとづいていることを指摘したうえで、その経験を次の5段階に分けました。

①レクリエーション・モード
②気晴らしモード
③経験モード
④体験モード(試行錯誤モード)
⑤実存モード 

そして、「レクリエーション」「気晴らし」のモードは娯楽的で大衆観光的な楽しさが追求されるいっぽうで、「経験」から「試行錯誤」「実存」に至るにつれて真正性が強く追求される真剣な旅へと近づいていくとされます。「レクリエーション」や「気晴らし」では、楽しいかどうか、日常の喧騒から離れて気分転換できるかどうかが観光者にとって重要であり、観光地での経験の「本物らしさ」は問題になりません。観光客向けに用意された娯楽や「作り物」でも、楽しければよいという心象です。それは表層的というよりも、「それが観光なのだ」と、その楽しさや娯楽的側面を「わかって消費する」ことに意識が置かれています。

 他方で「実存」モードへと近づく観光/旅のあり方においては、その目的は「真正な」体験や経験へと方向づけられていきます。観光客向けの娯楽ではなく、その地域の「本物」の文化や日常生活を体験したいと考えたり、異郷で他者と出会うことで自己変容をしようとしたりと、精神的な成長や探求・探究に意識が向けられます。

 「実存」モードに近い観光/旅では、自分自身のそれまでの日常生活(「自分の中心」)から離れて、自分の知らない誰かの日常生活(「他者の中心」)に辿り着きたいというモチベーションが強まります。他者の「中心=日常生活」に意味や活路を見いだし、そこにできるだけ近づくことで、自分自身のそれまでの「中心」になんらかの変化をもたらそうとするのです。旅をつうじた自己実現や自己成長といった言説を下支えしている精神的な観点は、こうしたところにあります。

 関心は自身の内奥にのみ?

ここまで、自分の移動のことを「観光」ではなく「旅」と敢えて呼ぼうとする心性について一例を紹介してきました。他者の「中心」に「真正性」を感じ、それに触れることで自己変容をしようとするモチベーション。それは、見方を変えれば非常に個人主義的な動機や欲望が旅を貫いているということでもあります。そして、観光も同様です。「中心」を志向せずリフレッシュや楽しさを追求することもまた、自分自身にベクトルが向いているからです。

 「旅や観光をつうじて社会を変えよう」とする集団的・集合的・社会的な意識がこれまで十分に育ってこなかった(だからこそいま、持続可能な観光が問題となっている)のだとすれば、その理由のひとつに、旅や観光のこうした個人主義的な性格が関わっている可能性が考えられます

 「観光客にとって、観光とは「旅する私」がどう変わるかに関心がある個人主義的な色彩の強い変革思想なのである」(門田 2022103

「ルール」から「ツール」へ:旅をつうじて社会を創る

言うまでもなく、旅や観光に楽しさや自己実現、自己変容を見いだそうとすることそれ自体に問題があるわけではありません。大事なのは、そうした個人主義的なモチベーションに追加するかたちで、「旅や観光をつうじた社会への貢献」にも意識を向けていくことだと言えるでしょう。自分の旅や観光が社会とどう結びついているのか。社会にどのような影響を与えてきた/与えうるのか。自分の旅や観光が社会にもたらすことのできる可能性は何か。そうした、自分自身で完結しない大きな視野で観光と旅を考えていくという意識が大事だと思われます。

 「旅は人を育て、社会を創る」。旅をつうじてサステナブルな社会の実現を目指すサスタビが掲げているこの言葉の根底には、そうした「社会的な活動としての旅/観光」への意識が存在しています。

 旅や観光を自分だけで終わらせないこと。社会と繋げて考えること。そのような意識を持ってみること、それについて考えてみることだけでまずは意義があると思われます。また、「サスタビ20ヶ条」などの事柄も、ただただ無機質な「ルール」としてあるのではなく、社会との結びつきや繋がりを可視化させる「ツール」として紹介されています。盲目に従うべき「ルール」ではなく、社会と繋がる旅をするための「ツール」として、「サスタビ20ヶ条」や、新しい旅のあり方を一緒に考えていきましょう。

 参考文献

  • 門田岳久(2022)「観光経験――旅がわたしに現れるとき」市野澤潤平編『基本概念から学ぶ観光人類学』ナカニシヤ出版、95-108.
  • コーエン、 (1998)「観光経験の現象学」遠藤英樹訳『奈良県立商科大学研究紀報』9(1)39-58

 

 

 

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