旅は「バブル」に包まれている?
「バブル」という言葉を聞いて思い浮かぶものは何でしょうか。しゃぼん玉やせっけんの泡…あるいは日本の1980年代から90年代に訪れた経済的な変動を想起する方もいるでしょう。
この「バブル」すなわち「泡」は、観光や旅にも深く関わる言葉であり、しかもその言葉の意味には大きく幅があるのです。今回の記事では、観光や旅において登場する「バブル」という概念について解説します。
「トラベルバブル」
2020年代から私たちを取り巻いている新型コロナウイルス感染症は、観光や旅にきわめて大きな影響をもたらしました。国際観光は一時的にせよほぼ完全に停止を迫られ、国内観光や県外移動も難しい時期がありました。とはいえ今日では観光産業も「回復」を見せていると言ってよい状況だと思いますが、もちろん新型コロナウイルス感染症はいまだ感染者をうみ出しており、決して過ぎ去ってはいない問題でもあります。
各国でさまざまな感染症対策や国内外の移動規制が採られた時期、観光や旅は真っ先に規制の対象になりました。観光産業の機能停止は実に多くの影響をもたらしたといえます。観光は2000年代以降、多くの国や地域の経済を下支えしてきた一大産業であり、観光産業に依存していた地域や国は経済的に大きなダメージを受けました。そもそも旅行・宿泊産業や飲食産業のなかで倒産や撤退も数多く見られました。
感染症が流行する状況下、いつまでも観光産業をストップさせ続けるわけにはいかない状況も生じました。その文脈で、「特定の条件を満たした人に観光移動の許可を与える」ことや、「特定の条件を満たした地域間の観光移動や自由な移動を緩和する」ことを目的とした政策や地域間・国家間の相談が進んでいきます。
ニュージーランドとオーストラリアが特徴的な例です。両国は「トラベルバブル」という言葉とともに、両国民同士が自由に両国を行き来することができる取り決めを結びました(トランスタスマンバブル(Trans-Tasman Bubbleと呼ばれています)。両国間の観光移動はそれ以前までの両国の経済に一定の重要な役割を果たしていたため、新型コロナウイルス感染症の状況のなかでも段階的に両国の移動を回復させる方法が模索されていました。
このように、「社会的、経済的に強い結びつきを持ち、かつ新型コロナウイルスが収束している隣国同士で、感染予防をしつつ渡航禁止の解除等を実施する取り組み」(訪日ラボ「トラベルバブル」とは何か/日本は中国、台湾、韓国とスタート?」2020年7月2日)が「トラベルバブル」です。
ひとつの「泡」になぞらえて、一定の範囲内や国家・地域をグルーピングし、その内側での移動を自由化・緩和するということですね。内部での移動を回復させて経済的なダメージを減らすとともに、外部からの出入りに対する規制は維持することで、「泡」の内側を外側からガードし続けることが目指されます。
ここには「外部との遮断」に近いニュアンスがあります。そして実はこの「バブル」という言葉は、観光や旅の文脈においてもっと早期から別の意味で使われていたものであり、そこでも別の形で「外部との遮断」のニュアンスを含んでいました。次に、それについてみていきましょう。
「環境の泡」に閉じこもる観光者
新型コロナウイルス感染症の流行がはじまる以前、この「バブル」という言葉と観光は別の結びつき方をしていました。それは「環境の泡(environmental bubble)」としばしば表現されます。
観光社会学や観光経験に関して重要な研究を蓄積してきた研究者エリク・コーエンは、観光地においてその地域の人々や文化を拒絶しようとする西洋の観光客の存在を指摘しました(Cohen 1972)。観光客はせっかく異国の地を訪れているのに、その地域の文化や社会を体験しようとせず、自分たちの慣れ親しんだ西洋式のホテルや食事やサービスだけを求めているというのです。西洋という「環境の泡」から外に出ることなく、外国を旅行するような旅のあり方ですね。
わかりやすい例でいえば、日本から海外に旅行しているのに、現地では「リトルトーキョー」などの日本的な場所で日本食ばかり食べ、日本人ばかりのコミュニティで時間を過ごし、SNSやインターネットで日常と変わらない日本語のソーシャルネットワークを楽しみ、そして余暇を満喫して日本に帰ってくる、といった旅や観光のあり方が該当するといえるでしょう。
コーエンは、「環境の泡」に閉じこもった観光が、訪れた先の地域社会や文化に対する不理解や否定、ステレオタイプの強化につながる危険性に警鐘を鳴らします。同時に、「環境の泡」を求める観光客が多く訪れるとすれば、観光地の側もその受容に応じたサービスを提供することになり、地域住民ももともとのローカルな文化とは乖離したサービスや文化を観光客向けに給仕することが求められていきます。そして多くの場合、地域やその住民は観光産業に一定の経済的な「依存」を構造的に強いられており、文化的な変容や、ますますの経済的不均衡を助長してしまうリスクもあると考えられています。
「泡に閉じこもる」ことの二重の意味
新型コロナウイルス感染症の流行下に登場してきた「トラベルバブル」は、いわば感染対策と観光振興を両立するための「泡に閉じこもれ」というメッセージでした。「泡から出ることなかれ」。「泡に入るなかれ」と。
それに対して、「環境の泡」の意味においては、そのような「閉じこもり」は問題含みの観光行動としての意味を放ちます。異文化交流や異文化理解の可能性が閉ざされてしまうことを問題視した概念ですね。
もともと関係性の深かった隣国間の「泡」と、西洋と非西洋といった構造的な対比関係にある国家・地域間のなかで形成される「泡」を、どこまでそのような単純な対比で検討できるかという重要な問題はありますが、観光や旅の文脈における「泡」のニュアンスの変容(変容なのか、複数化であるのか?)は興味深いものだといえます。
とくに後者の「環境の泡」は、サステナブルな旅を考えていくうえではまだまだ重要なものだと思われます。
自分の世界観を維持したまま地域を訪れ、交流せず、欲求を満たして帰っていくという旅のあり方ではなく、地域と交流し自分のもともとの世界観をむしろ揺さぶっていくような旅を実践していくことも大切だといえるでしょう。もちろん、自分本位で地域やコミュニティに土足で踏み込んでいくような態度にも問題があるということも忘れてはなりませんが。
参考文献
- Cohen, E. (1972).Toward a Sociology of International Tourism, Social Research, 39(1), 164-173.
この記事へのコメントはありません。