デジタル社会における不便を楽しむ観光のすすめ ―― 持続可能な社会のための観光学 Vol.6

 「便利になるのはいいことだ」と私たちは思い込んでいます。しかし最も便利な選択肢が、「楽しむ」とか「満足する」といった観点では、1番良い選択肢になるとは限りません。不便から得られる利益、「不便益」なるものが存在するのです。旅を例に、不便のなかにある楽しさをお伝えします。

 

デジタル化する旅

コロナ禍の20209月にある実験を行った。非接触の対応が求められるなかで、いかに人と会話をせずに旅ができるか、私自身を被験者としての実験である。

結論を言えば、「ほぼ完ぺき」に会話をせずに旅をすることができた。飛行機、鉄道、バス、路面電車などすべての交通は、予約、支払、搭乗・乗車まですべてスマホで完結できた。食券販売機対応の飲食店を選べば、食事も会話は不要である。ロボットが対応する福岡の「変なホテル」に宿泊したので、誰ともも会うことなく宿泊をすることができた。

「ほぼ完ぺき」というのは、実は一度だけ会話をしたからだ。それは、熊本市内の路面電車でスマホ決済をしようとしたところうまく作動しなかったため「いくらですか」と訊ね現金で支払ったときだけだった。

このように想定外が起こらなければ、私たちは誰とも会話をすることなく旅をすることができる便利な環境を手にしている。インターネットと接続されたデバイスでタッチという動作で、いちいち他人に頼ることなく旅をすることができる。復興しつつある熊本城を眺めて感動したし、博多のとんこつラーメンを食べて美味しい思いもした。しかし、この旅が本当に楽しかったかと言われるとどうも腑に落ちない自分もいた。

 

スマホか地図か自力か

そうした問題意識もあって、20217月にある実証実験を行った。教え子のゼミ生23名を

①スマホのナビゲーション利用(7名)

②観光協会発行の地図利用(9名)

③スマホも地図も利用しない(7名)

の3つの種別に分け、さらに23名のグループ別に本川越駅から時の鐘まで時間差をつけて街歩きをしてもらった。川越再訪の学生に有利にならないようにするために途中に共通のチェックポイントを3ヵ所設けた。目的地到着直後、「達成感」「特別感」「幸運」「主体性」「不安」の5つの尺度で幸福度を測るアンケート実施した。その結果が下記の図である。

 

川越街歩きにおける利用ツール別の幸福度比較

(出所:鮫島卓,2021)

 

結果、下記のことが明らかになった。スマホのナビゲーション利用は「不安」を減らすことはできるが、「達成感」「特別感」「幸福」「主体性」などポジティブな評価は低いことがわかった。地図利用は「不安」が小さく、「特別感」「幸福」「主体性」で最も高い値が出た。スマホも地図も利用しない独力は、「達成感」が他よりも高い値であった一方で、「不安」が最も高かった。

まとめると、地図利用が感動のレベルが総じて高く、不安も小さい街歩きに適切な方法と言える。また、スマホ利用者は誰ひとり沿道住民との対話がなかったが、地図利用者と独力者は道を尋ねるなど沿道住民との対話があった。目的地までのルートを比較すると、スマホ利用が全員同じルートを辿った一方で、地図利用と独力者はグループによって異なるルートになっていた。

ここから考えられるのは、「適度な不便」が旅の楽しさに影響し、誤配によって旅の個性をつくるということだ。

 

下記、代表的な学生の自由記述を紹介する。

(地図利用者)

地図を見ながら歩くと、スマホのナビで行くよりも周りをよく見ていると思いました。

地図をみても迷ってしまいましたが、地元の方が声をかけてくれて助かりました。

(独力者)

道がわからなくてヒヤヒヤしたけど、着いた時の感動はすごかった。周りの人に訊いたりしてゴールできよかった。普段いかにスマホに頼りすぎているか実感した。

 

不便益とウェルビーイング

私たちの文明は、不便な状態から便利な状態へ確実に変化を遂げてきた。企業はより多くの消費者に購入してもらえるように価値の高い製品やサービスを開発して改善を繰り返す。ユーザーはさらに便利で効率的・効果的な製品やサービスを適正価格で購入することができた。

公衆電話や固定電話しかなかった時代、デスクトップのパソコンしかなかった時代からスマホのおかげで格段に便利になった。産業革命以来の近代文明は、確実に人間に物質的な豊かさをもたらした。しかし、隙間時間を生み出すためのものが、いつの間にか隙間時間を埋める手段となっている。

新しいテクノロジーの導入によって効率化し、余白や余暇をつくるつもりが、逆に仕事量が増えて忙しくなるという実感を持つ人も少なくないだろう。それが実際、経済成長の源ともなっているのだから。しかし、それでは人びとはますます忙しくなり、適応できない人は睡眠時間を削ることになってうつ病など精神的不健康になってしまう。

便利は良いことだと思っていたのに、24時間営業のコンビニが欧州で普及しないのはなぜか。DIYやキャンプの需要はいつの時代もなくならないのはなぜか。過酷な富士山登山に年間30万人もの人びとが挑戦するのはなぜか。このように一見、不便に思えることをあえて求める人びとがいる。それは、不便から得られる楽しさ、充実感、心の豊かさがあるからだろう。

不便益という言葉がある。京都大学川上浩司教授らが主張する「不便だからこそ得られる効用」のことである。決して不便を強いて我慢することではない。不便を積極的に活用して心の豊かさを得ようとすることである。物事を不便と便利の二項対立ではなく、「便利害」と「不便益」のもうひとつの軸を加えて考えようとするフレームワークである。便利と不便を物質的豊かさの尺度だとすれば、益と害を精神的な豊かさの尺度としている。

 

不便益の概念図

(出所:川上浩司(2017))

これまでの研究で、不便益には下記の8つの効用が発見されている。不便益から益の特徴は、適度な制約や制限を受容して、人間の能動性に働きかけ精神的な豊かさを得ることだ。精神的な豊かさとは、機械任せで均質的な作用ではなく、人間の個性や固有価値を育む文化的行為によって得られるのである。

あえて歩く旅を推奨するイギリスの「フットパス」は、日本でも「四国八十八ヶ所お遍路の旅」や「街道を歩く旅」として普及している。単にゲストとしてサービスを享受するだけではなく、ボランティアや学びを通じてホストである地域住民と共創する旅も広がっている。

旅が終わっても、地域との関係性を保って関係人口として地域課題の解決に関与する旅人もいる。それらはすべて、心の豊かさを求める観光行動である。そうした観点から、私はツーリズム・ウェルビーイング(観光幸福論)が、デジタル社会において求められる新たな視点になるのではないかと考えている。

不便益から得られる益「心の豊かさ」

ウェルビーイング(well-being)とは、「身体的・精神的・社会的に良好な状態にあること」を指す言葉で、「幸福」という訳語が当てられることが多い。幸福学研究の慶応義塾大学の前野隆司教授らは、人間が幸せに感じる4つの因子があることを発見した。

第1が「やってみよう」因子(自己実現と成長の因子)。夢や目標ややりがいを持って、「本当になりたい自分」をめざして成長していくとき、人間は幸せを感じるという。

第2が「ありがとう」因子(つながりと感謝の因子)。多様な人とつながりを持ち、人を喜ばせたり、人に親切にしたり、感謝したりすることが幸せをもたらす。

3つ目は、「なんとかなる」因子(前向きと楽観の因子)。いつも前向きで「自分のいいところも悪いところも受け入れる」という自己受容ができており、「どんなことがあっても何とかなるだろう」と感じる楽観的な人は、幸せになりやすい。

最後の4つ目は、「ありのままに」因子(独立と自分らしさの因子)。人目を気にせず、自分らしく生きていける人は、そうでない人と比べて幸福感を覚えやすい傾向があるとされる。

幸福の4因子は、達成感、能動性、関係性、個性という言葉に置き換えることができる。前述の川越の街歩きをこの因子をあてはめて考えると、スマホに頼らず自分の力を信じつつ、ときには他人に頼ることで対話が生まれ、その想定外のノイズによってその人らしい個性的な旅ができた人が、最後に達成感を得られて、とてもウェルビーイングが高い状態だったと言える。

その対極にあるのが、誰とも会話しないスマホ依存の九州旅行である。デジタル社会のなかでは、単に旅行者の欲求を満たすというレベルではなく、幸福度を高めるという観点で観光のあり方を考えるべきステージに入っていると思う。

 

デジタルリテラシーの本当の意味

デジタル社会では、アナログはノイズである。前述したコロナ禍で行った九州旅行の実験では、路面電車でのスマホの誤作動の想定外だけが他人との対話の機会となった。

しかし、そのノイズがあったおかげで「私だけ」の旅ができた。デジタル化した旅はみんな同じ行動へと均質化し、旅の固有価値を減滅する。それで旅が面白いはずがない。旅がしばしば人生の比喩に例えられるのは、それが一期一会であり、その人だけの固有価値を帯びるからである。

その意味では、アナログによる誤作動、ノイズ、想定外こそ旅の醍醐味なのだ。デジタルリテラシーの本当の意味は、デジタルに詳しくなることではない。そうではなく、デジタルとアナログの使い分ける目利きができることである。

最後に、不便益と持続可能な観光との関係について述べたい。不便益の旅は、SDGsの実現に貢献する。有限な地球の中で、私たち人類が際限のない欲望を満たし続けることは、新たな生存可能な惑星へ脱出する以外、持続可能とは言えない。

しかし、だからといって縄文時代のライフスタイルに戻ることは現実的ではない。義務や責任を強いることは、旅本来のもつ楽しさを奪ってしまう。その意味では、価値観の転換が必要だ。不便益によるツーリズム・ウェルビーイング(観光幸福論)は、楽しみながら節度ある欲望を満たす資本主義、利他と感謝に依拠したもうひとつのパラダイムとしての可能性を秘めていると考えているが、皆さんはどう思うだろうか。

 

プロフィール
立教大学大学院修士課程修了。専門は観光学。HIS入社後、経営企画、ツアー企画、エコツアー・スタディツアーなど事業開発、ハウステンボス再生担当。JICA専門家としてミャンマー・ブータンで住民主体の持続可能な観光開発(CBST)に従事。2017年より駒沢女子大学観光文化学類准教授。帝京大学経済学部兼任講師。ANA旅と学びの協議会アドバイザー、澤田経営道場講師など。近著論文『創造的消費者の活用による旅行商品開発』、『観光経験の感動分析』、『観光の動的螺旋の相互作用とツーリスト・リテラシー』『文化観光を活用した観光再生戦略』。

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