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サスタビを知る「サステナブルな旅って、なに?」―そんな素朴な疑問について、さまざまな視点から考えます。

「旅=非日常」はもう古いかも!?――「かっこいい旅人」は生活するように旅をする

「旅=非日常」はもう古いかも!?――「かっこいい旅人」は生活するように旅をする

旅の時間。それは日常の喧騒から離れた、特別なひととき。気を遣う仕事仲間も居ないし、時間を気にすることもない。普段はできない事をやってみたり、景色や食事やアクティビティを全身で楽しんだりして、日ごろの疲れとストレスを吹き飛ばしてしまいたい…

旅や観光に、そのような期待を抱く人も少なくないでしょう。「旅の恥は搔き捨て」という言葉もあるように、旅の時間は非日常特別で、何をしてもよい自由な時間だと考えられてきました。

しかし今日では、そのような旅の常識はもう当たり前ではないのかもしれません。

「生活=日常、旅=非日常」?

じつは、旅や観光について専門的に研究してきた観光学(観光研究)でも、「旅/観光の時間は非日常の時間である」という考え方が研究の土台となってきました。旅しているとき、初めて訪れる観光地を歩いているときのあの高揚感やワクワクした気持ちは、学術的にも根拠があるものだったのです。

日常生活圏から離れ、非日常を経験し、日常へと帰ってくる。円を描くこの移動のメタファーが、観光・旅を定義づけてきました。労働ばかりの日常生活から離れて、旅先で疲れを癒やし気分を入れ替え、再び仕事を頑張るためのエネルギーを養うこと。レクリエーションとしての観光・旅はこの典型です。

一方で旅や観光は、通過儀礼の構造としても理解することができます。通過儀礼(イニシエーション)とは、非常に大まかに言えば、祭礼・儀礼という「非日常」の経験を通じて、これまでとは異なる自分へと成長するために行われるものです。たとえば成人式は、「子供」として生きてきたこれまでの日常の時間を脱し、「大人」としての生活に再び参入するために通過する、非日常的な祭礼の経験装置なのです。

イニシエーションにおけるこの日常→非日常→日常という経験的な移動は、まさに旅と重ね合わせることができます。つまり、リフレッシュやレクリエーションに加えて、旅には、人を成長させる効果があると言われてきました。異国の地で非日常の経験を積み、新しい自分へと変わるための手段。それが旅の意味機能のひとつだったのです。

「旅=非日常」の認識が、観光地への悪影響に

このように、非日常への移動や非日常の経験は旅を特徴づけてきました。しかし今日、旅の時間を非日常のものだと考えることが原因で生じてしまった問題も目立っています。

旅先でハメを外してしまった苦い思い出や、いつもならしないような無礼な振る舞いをしてしまった経験はないでしょうか。ホテルや旅館に宿泊した時、缶やペットボトルを分別せずに捨ててしまったり、楽しい食べ歩きに夢中になって、ついつい串や包装紙をその辺に放置してしまったり…

非日常の楽しい時間には、こうした「ついつい…」の落とし穴がつきものです。一人一人が「これくらいなら平気だろう」と思っても、そのような人が大量に観光地に集まることで、ごみ問題や景観問題といった大きな問題に結びついてしまう可能性があります。

大事な点は、そうした問題を引き起こすのは「旅人の集団」「大量の観光客」といった匿名の集団ではないということです。それは、一人一人の、顔のある観光客の振る舞いによってであり、ひとつひとつの「ついつい…」の蓄積によってなのです。

 

 

旅と日常は繋がっている

それでは、旅先の楽しい時間を満喫しながらも、「ついつい…」の罠を回避していくことはいかにして可能なのでしょうか。答えはもちろん、「一人一人の旅人が責任感やサステナブルな意識を持つこと」に集約されるのですが、そもそもそうした意識はなぜ必要なのでしょうか。今回は、「旅と日常生活の時間は繋がっている」という観点から、その理由を考えてみたいと思います。

旅を通じて訪れる場所は「誰かの日常生活の場」にほかなりません。それは地域で日々を営む人たちの生活の場であり、観光客を相手に働く人たちの仕事の場です。その意味では、旅人であるあなたが普段過ごす「あなたの日常生活の場」と、旅先で滞在する「誰かの日常生活の場」は地続きなのです

 

図1. 「サステナブルな旅の円環構造」(石野作成)。非日常への旅から、日常への旅へ。あなたの生活の場と、観光地で暮らす人々の生活の場は繋がっています。

 

ならば、誰かの家にお邪魔するときのような振る舞いもまた、旅には必要なのかもしれません。日常生活で他者に敬意を払うように、旅先でも他者に敬意を払うことが大切だと言えるでしょう。旅先で出会う人びともまた、私たちと同じく日々の日常生活を生きる、地続きの人間にほかならないのだから。

したがって旅とは、誰かの日常生活に「お邪魔させてもらうこと」、いうなれば、生活を「シェア」してもらうことではじめて成り立つ、きわめて協働的な実践だと言えるでしょう。

そう考えてみれば、日々の生活でポイ捨てをしないことが当然であるように、旅先でも「当たり前のように」責任感ある振る舞いをしていく必要があると思えてきませんか?なぜ、日々の生活で気をつけているサステナブルな事柄を旅先でも実践しなければならないのか。その端的な理由は、ここにあるのです。

自らの日常生活からはじまり、誰かの日常生活にお邪魔して、再び自らの日常生活に帰ってくる、円環運動としての旅。それは旅先の地域の人びととの協働作業です。旅の時間が非日常的で楽しいものであることに疑いの余地はありませんが、それが「あなたの日常生活」とも「誰かの日常生活」とも地続きであることもまた、ひとつの事実なのだと言えるでしょう。

かっこいい旅人になるために――生活するように旅をしよう

今回の記事では、日常生活で意識しているサステナブルな実践を、旅先でも同じように実践することがなぜ大切なのかについて、「日常/非日常」をキーワードに考えてきました。

旅と生活が不可分に繋がっていること。自分だけ「非日常」気分でいることが誰かの「日常」の妨げになってしまう可能性があること。この2点への意識が、旅をサステナブルなものにグッと近づける基礎となります。

旅と日常生活が繋がっていて、旅を日常生活のように楽しめる可能性があるのだとすれば、日常生活を旅のように楽しむことの可能性もまた同様に示されていると言えるでしょう。生活を通じて旅を、そして旅を通じて生活を、ともに充実させてゆくこと。日常生活と旅の時間を切り分けるのではなく、互いを通じて両方を良いものにしてゆくこと。そのような好循環の「輪」は、きっとサステナブルなサイクルをなしているでしょう。

旅をめいっぱい楽しみながらも、ふだん当たり前のようにできているサステナブルな実践を、旅先でも当たり前のように、そしてクールに実践できる人。そのような「かっこいい旅人」の後ろ姿を、一緒に目指していきませんか。

この記事を書いた人

石野 隆美

立教大学大学院観光学研究科、博士課程後期課程に在籍中。専門は文化人類学、観光研究。北海道札幌市出身。論文に「ツーリスト・アクセス――「アクセス」概念が拓くツーリスト像の検討に向けた理論的整理 」(『観光学評論』9(2)、2021年)など。また分担執筆に『よくわかる観光コミュニケーション論』(ミネルヴァ書房、2022年)、『アフターコロナの観光学――COVID-19以後の「新しい観光様式」 』(新曜社、2021年)など。

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