「開拓主義」をのりこえる:「観光のまなざし」から考えるサステナブルな旅【前編】

『観光のまなざし』:観光したいという気持ちは社会がつくっている?

観光学/観光研究において決定的に重要な役割を果たした書籍に、『観光のまなざし』があります。

この本は、ジョン・アーリという方によって1990年に著され(原題 The Tourist Gaze)、その初版は1995年に日本でも刊行されました(加太宏邦訳、『観光のまなざし――現代社会におけるレジャーと旅行』法政大学出版局)。その後2002年に改訂版が著されたのち、2011年にThe Tourist Gaze 3.0 が刊行、2014年に邦訳も刊行されています(加太宏邦訳、『観光のまなざし 増補改訂版』法政大学出版局)。この『3.0』の版ではヨーナス・ラースンという方も執筆に加わっています。

観光は「まなざし」とともにある、しかもその「まなざし」は、私たちの観光の仕方を規定している、ということをこの本は論じます。何が観光対象として価値があり、どのような場所に旅行すべきで、そこではどのようなことをしたらよいか――「観光のまなざし」は、私たちが観光や旅行をする際、これから行こうとしている場所やその文化に対して向けている目線のことを指しています。

もうひとつ、この著作が行った重要な指摘は、「観光のまなざしは社会的に作られる」ということです。人びとが個人で「あの場所に観光に行きたいな」「あそこでこういうことしたいな」という「まなざし」を作っているのではなく、社会がそれを構築していると。つまり、どこに観光に行くべきなのか、そこで何をすべきで、どのような体験をしたら楽しいのか、といった観光地に対する目線(まなざし)や観光的な欲求は、人が自分で考え出したり自身の心の内から漏れ出てきたりしたものではなく、誰か(社会)によって作られ、そして促されてるものであるということを、この本は指摘しました(もちろん、この本が投じている重要な議論はこれだけではありませんし、今述べた議論も多分に再解釈・議論が続いています)

『観光のまなざし 増補改訂版』についてはコチラ

「まなざし」は私たちの観光の仕方を規定している

「メディア化されたまなざし」――「定番」の再演

たとえばこの本では、「メディア化されたまなざし」という言葉が出てきます。この意味するところを一言でいえば、私たちが観光地で見るべきもの、写真を撮るべき対象、食べるべきものなどの多くがメディアによって作られたまなざしであり、「メディアですでに見たことのある風景」を人びとは確認している、ということです。

そこを訪れた人全員が、同じ場所で、同じ景色を背に、同じポーズで写真を撮っている――そのような場面に出くわしたことがきっとあると思います。たとえばディズニーランドではミッキーの耳がついたカチューシャをつける、台湾では夜市に行く、映画のロケ地で俳優と同じポーズで写真を撮る、等々。「定番」であり、みんながやっていて、SNSでみんなが「映え」ている写真や行動を自分もしたいという気持ちや「まなざし」は、まさにメディアの影響を強く受けています。

集合的まなざし

また、「みんながやっていることを自分もしたい」という思いについて、アーリは「集合的まなざし(collective gaze)」という言い方もしています。先述した「メディア化されたまなざし」はこの「集合的まなざし」の一例といえます。みんながやっているということは、同じまなざしがその場所に集まっているということ。そのようなイメージでとらえれば「集合的」という言葉も理解しやすいかもしれません。

みんながやっていることをする、みんなが行っている観光地に旅行に行く。そうした集合的まなざしは、しばしば観光地の人の過密や混雑、オーバーツーリズム等の問題とも無関係ではありません。

ロマン主義的まなざし

他方、アーリは「集合的まなざし」と対比的なかたちで、もうひとつのまなざしの存在を示します。それが「ロマン主義的まなざし」です。

集合的まなざしが「みんながやっている」という点と関わっていたのに対し、「ロマン主義的まなざし」は「私だけがやっていること」「私だけが知っている観光地」「私だけの旅行」といったふうに、秘境的で、単独的な観光対象や観光的な行為に対して向けられるまなざしのことを指しています。

誰もいない、自然のなかで自分自身を見つめなおしたいとか、自分だけでゆっくりと過ごしたいといった、「ロマン」、あえて書けば「浪漫」の風合いをもった旅行の仕方、観光のあり方が当てはまります。

秘境、未踏の地、静寂な場所、誰も知らないような場所……そうした場所を見つけ出し、しかも自分1人だけで(あるいは少人数で)そこを訪れること。そういわれてみると、「旅」と「ロマン主義的まなざし」はニュアンスが近いということをイメージしてもらえるかもしれません。

サステナブルツーリズムと「ロマン主義的まなざし」

さて、今回の記事で考えてみたいのは、この「ロマン主義的まなざし」とサステナブルツーリズム、あるいは「サステナブルな旅」の関係です。

オーバーツーリズムの問題は「集合的まなざし」と関係していることは先ほど述べました。みんなが行っている場所に自分も行きたい、「映え」の写真を自分も撮影したい。そうした欲求は多くの人を同じ場所に寄せ集めます。そして文字通り「集合」するわけですが、その規模によっては混雑や自然環境への負荷を生むオーバーツーリズムに至ってしまうでしょう。

オーバーツーリズムのそのような問題に対して、解決策や代替案としてしばしば提示されるのが、「秘境探し」的な旅/観光のあり方だと言えます。その特徴は以下のようなものでしょう。

  • 少人数あるいは個人での旅行/観光であること
  • 人が少ない場所、観光地として著名ではない場所、誰も知らないような場所を探す志向があること
  • 遠くの場所や僻地の来訪だけでなく、身近な場所の「再発見」によっても旅や観光をしようとすること

このように、近年見聞きする「マイクロツーリズム」や「近場観光」も、集合的まなざしから距離をとろうとする旅行・観光実践として理解できるところがあります。それから、メディアなどでまだ取り上げられていない、著名ではない観光スポット(多くは観光スポットと呼ばれてすらいないのでしょう)を見つけ出し、訪れる「旅」的なものも、オーバーツーリズム対策としてしばしば提示されるものです。

それらの観光や旅のあり方は、まだ知られていない場所や人の少ない場所を訪れようとする「ロマン主義的まなざし」と結びついています。

続きは後編で

【後編】では、この「ロマン主義的まなざし」と結びついた「サステナブルな旅」について、一歩立ち止まって考えてみたいと思います!

参考文献

アーリ・ジョン、ヨーナス・ラースン (2014)『観光のまなざし 増補改訂版』加太宏邦訳、法政大学出版局。

Walter, J. (1982) Social Limits to Tourism, Leisure Studies, 1: 295-304.

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    • namekata2

    観光のまなざしについての理解が深まりました。
    後編も楽しみです。

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