前編では、観光に関わる2種類の「文化の画一化」についてご紹介しました。
まず、「グローバルなもの」が広がりを見せていくなかで、町並みの景観がどこも似たような風景を構成していってしまうという方向性。もちろん、グローバルとローカルを足した「グローカル」という言葉があるように、どんな文化やチェーン店も全く同じものが均質的に世界中に広がっていくということはなく、地域ごとに異なる受容のされ方をされ、その土地独自の変容を見せていくことが考えられます(グローカリゼーション)。
そうした文化のダイナミズムに関わる「文化の画一化」のお話に加えて、もうひとつ存在する画一化は、いわば「地域らしさ」をめぐる「地域の内側における競争」によってもたらされるものです。
すなわち、「観光的に人気の出る」要素やスポットが地域のなかでピックアップされることによって、その地域の「地域らしさ」をめぐる表象(広告など、地域を表現するもの)の多様性が失われてしまうことです。「観光的なもの」「映えそうなもの」「壮大なもの」ばかりが紹介されたり、逆に、「素朴な原風景」「静かな町並み」などの要素が強調されたりすることは珍しくありません。
言うまでもなく、そうした「観光的な魅力」や「人を呼ぶ方法の発見」がこんにちの地域において喫緊の課題となっていることは事実であり、それらを観光客向けにアピールする作業は広く求められていることですが、「地域らしさ」や地域の表情、そこで生きている人びとの多様性や多彩さが、単純な表象によって一枚岩に描かれてしまいかねない点にはつねに注意が必要でしょう。
多声性を
「サステナブルな旅人」としてできることは、「地域の多声性」を自らの旅をつうじて発見し、それを他の旅人へと届けていくことかもしれません。
サスタビでは、「サスタビ20ヶ条」のなかで「02 人気の場所以外の新しい見どころを発見しよう」「03 事前に旅先の歴史・文化をしらべておこう」を掲げています。
この2つを意識することが、「文化の画一化に抗う旅」において重要となります。
「観光的に人気の出そうなスポット」や「映え要素」など、メディアで広く紹介されている場所や施設だけを観て満足してしまうのではなく、そうした「大きな声」に埋もれていた新しい魅力を見つけ出そうとする、そのような旅です。
地域には多様な人が住み、多様な人が行き交い、それぞれの生活や仕事、遊びをおこなっています。一人一人住んでいる場所も違えば、生活の仕方も実に多様です。どのような観光地や観光商店街であれ、一本脇道に逸れればそのような多様な世界が広がっています。
確認的な観光から、発見的な旅へ
メディア、SNSでとりあげられてこなかった情景を自分の足で見つけようとするような旅を意識することで、旅の醍醐味を満喫することができるかもしれません。
古くからある(そして十分に問い直されてきた)図式を持ち出して整理してみると、そのような旅は「確認的な観光」と異なる「発見的な旅」と呼ぶことができます。観光と旅の違いはいくつかの軸で考えることができますが、一つには、それが「観光産業」を通して経験されるものなのか、そうでないのかという違いがあります。旅行会社のツアーに参加したり、観光雑誌やメディアの情報を頼りにして地域をめぐり、あらかじめどこかで観た景色を再確認するような移動の仕方が「確認的な観光」であるとするならば、そうした産業やメディアに頼らず自らの足で何かを見つけ出そうとする移動が「旅」なのかもしれません(註1)。
これまでの旅や観光のあり方に、ちょっと「まわりみち」や「寄り道」を加えてみる。そのような意識で、何か知らなかったものを見つけようとする意識が、先に述べてきた「画一化」を揺さぶるきっかけになると思われます。
またその意識は、ゴールデンウイークや年末年始といった、行楽シーズンにおける旅の行先選びにも重要になってくるものです。自分が大混雑を生み出す一員/一因にならないよう、どうしたら発見的な旅ができるかを考える必要があります。「発見的な旅」のマインドは、旅の道中だけでなく、その行先選びの時点から始まっているのです。
紹介の仕方には注意
旅行雑誌や観光情報サイトによる「大きな声」とは異なって、旅人ひとりひとりが自らの旅や発見を紹介していく「小さな声」もまた求められているのかもしれません。旅をつうじて発見した多様性や多声性、地域の隠れた魅力や情景を発信していくことですね。その意味で、「発見的な旅」のマインドは旅が終わってからも続くべきものです。
一方で、そうした情報発信はつねに「次なる映え」のきっかけとなり、「画一化の上書き」になってしまいかねないというリスクも抱えていることには注意が必要です。「観光的な魅力」やとくに「映え要素」は移り変わりが激しい側面もあり、「画一化された表象が別の画一化された表象に移りかわっただけ」に終わってしまっては元も子もありません。
また、観光スポットとしてこれまで注目されてこなかった場所が急に「映え」の対象となると、大量の来訪者を生みだし、地域側にとって思わぬ事態を招いてしまう危険も少なくないでしょう。「映え」や身勝手で自己顕示的な「シェア」をするのではなく、どのような紹介の仕方が地域にとってプラスになり、応援になるのかを考えた「シェア」のあり方が、これからの「サステナブルな旅人」のSNS利用には求められていると思われます。
旅や観光はどうしても、「旅をする自分」「観光をする私」が主人公であると考えがちですが、受け入れてくれる地域があってはじめて観光や旅は成立することを忘れず、かつその意識の延長上で旅の経験を「シェア」していきたいですね。
註
1.先にも触れましたが、このように観光を「ただ確認するだけ」の、意味の乏しい実践と位置づけ、旅に何か異なる魅力や意味があるとする見方は、観光学においてすでに古典的に繰り返し批判されているものです(マキァーネル、D. (2012)『ザ・ツーリスト ―高度近代社会の構造分析』安村克己ほか訳、学文社を参照のこと)。
この記事へのコメントはありません。