観光とビッグデータ:私たちは本当に選んでいる?

ビッグデータの時代

2010年代以降、「ビッグデータ」の活用が広がり続けています。みなさんはこの「ビッグデータ」とは何か、そしてこれが旅や観光とどのように関わりを持っているのかご存じでしょうか。

ビッグデータ。その名の通り、人間では把握しきれないほどの膨大な量のデータ群のことを、この言葉は指しています。

今日、私たちの生活はおびただしいほどのデータ、すなわち情報に囲まれています。インターネット上には画像やテキスト、動画データが集積しており、SNSでは数秒ごとにそれらが更新されて私たちに届きます。一日にどれほどのwebページやSNS投稿を目にしているか、自分一人の量だけでも数えきれないかもしれません。街を歩けば、私たちはGPSによって位置情報を取得することで地図を使用したり、電車やバスの待ち時間を調べたり、電子決済によって電車に乗ったり商品を購入したりしています。また監視カメラやドライブレコーダーは私たちの多くの行動を捉えているでしょう。

ビジネスや防犯だけでなく、医療や行政サービスをはじめ実に多くの産業やサービスでもビッグデータは活用されています。オンラインショップは最も馴染みのあるものだと思われます。インターネット上では「履歴」データに基づいて「おすすめ」の商品広告や「タイムライン」が表示され、私たちにそれとなく「これを買ったら?」とささやいています。それからオンラインでなくとも、スーパーマーケットでは私たちの購買データに基づいて商品陳列の順番や価格設定を日々変更してさえいるかもしれません。

こうしたデータの活用が広がることで、私たちの生活は便利で安全なものに近づくと考えられていますが、一方でそれが情報の「監視」でもあることに対して批判も少なくありません。ビッグデータの情報収集と分析によって、企業がオススメする商品やサービスを「選ばされている」可能性に警鐘をならす議論も存在します。利便性や効率性と、監視や権力の問題はじつに複雑であり、慎重な議論を続けていく必要があるものです。

 

観光におけるビッグデータの活用

今回の記事では、ビッグデータの活用の善悪や可能性/課題に関する価値評価にはあまり踏み込まず、観光とビッグデータの関わりについて紹介することとしたいと思います。

観光の文脈では、ビッグデータはまず、「観光客の統計データ」に関わる情報収集と分析にその可能性を見いだされました。ある地域に一日に何人の観光客が訪れているのか。そのうち外国人観光客はどれくらいいて、国籍や年齢や観光形態はどうなっていて、どのような交通手段で来て、どこに泊まり、何を食べたり購入したりしているのか……そうしたデータを分析し、さらなる観光客誘致や観光振興につなげていくことを可能にしたのがビッグデータです。とくに日本の各地DMO(Destination Management/ Marketing Organization)では、ビッグデータを分析した観光地経営や観光関連サービスの計画が取り組まれています。それ以前ではアンケートを取ったり、各施設ごとに来場者数をカウントして合算したりなど、非常に時間も手間も必要としていた作業ですが、地図アプリや交通・宿泊の予約アプリなどを活用することで半ば自動化しながら膨大な観光データを集めることが可能になりました。

今日問題となっている「オーバーツーリズム」に対しても、ビッグデータの活用による状況改善や予防が模索されています。ビッグデータとAIを活用して混雑状況をリアルタイムで観察・可視化したり、日々のデータによって混雑状況を「予測」したりすることが可能となっています。

この「予測」という点がビッグデータを考える際のひとつのポイントです。ビッグデータは過去の情報を集めるだけでなく、それにもとづいて「未来予測」の分析も高精度で進めることができるといえます。傾向を見いだし、予測し、起こりうるリスクや利益の可能性に対処することが可能になってきているということですね。オーバーツーリズムも、以前の記事で紹介しているように、混雑をあらかじめ予測・可視化させることで観光客に「分散」を促していくような仕組みが非常に重要となってきています。

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選んでいる?選ばされている?

SNSのタイムラインやECサイトの「おすすめ」商品の広告は、私たちの意思や選択をめぐる問題を問いかけています。自分で選んでいるつもりでも、ビッグデータにもとづいて選択肢があらかじめ限定されていたり、特定の選択をするよう促されていたりする可能性があります。そのような状況において、私たちは本当に自分の意思で物事を選ぶことができているのでしょうか。

ビッグデータは本人の検索履歴や他者の購買傾向などもデータとして分析し、「他の人はこれも買っています」「この商品を買ったあなたへのおすすめ」といった言葉とともに「次の消費の選択肢」を提示してきます。これも先述した「未来予測」の一環といえますね。そして同時に、ビッグデータはこのとき「個人にカスタマイズ」した情報を提示しているともいえます。一人ひとりに最適化され個別化された情報をピンポイントに提示してくるので、それが予測と合致する限りにおいて、たしかに私たちの選択や情報へのアクセスはよりスムーズになったかもしれません。

他方で、そのような情報のカスタマイズは同時に、特定の情報を私たちから遮断するメカニズムとしても作用します。この人が好まないであろうとAIが予測した商品や情報は検索結果から排除されたり、順番でいえば後ろの方で提示されたりするということですね。

米国人のイーライ・パリサーという方は、このような情報の選別を「フィルター・バブル」と呼びました(パリサー 2016)。この言葉には2つの重要な含意があります。1つ目は今述べたように、私たちが得られる情報に「フィルター」がかかるということ。もう一つは、「バブル」という言葉の含意です。すなわち、関心をもつことに関する情報ばかりが提示され、私たちもまたそのような情報にばかりアクセスするようになることをつうじて、次第に自分の関心世界に閉じこもり、異なる関心を持つ人びとの間に境界線が引かれていってしまう状況が生じうるということです。

前回の記事で、「島宇宙」という言葉を紹介しましたが、これと似ていますね。自分の関心のあることや、同じ政治的主張や思想を持つ人たちだけでグループになり、異なる関心や意見を排除し「島宇宙」化してしまうような事態が、情報アクセスによっても促されている可能性があるということです。この点は、SNSでより顕著に問題化しているように思われます。

観光者の選択

こうした点を踏まえると、観光者や旅人がどこまで「自分で選択しているのか」は曖昧です。旅行に行きたいと思い、SNS等で目的地や宿やアクティビティを探すとき、すでにその情報にはフィルターがかかっている可能性もあります(もちろん「結果的に欲しい情報がすぐに手に入るのだからよいではないか」という立場もあるでしょう)。観光は、観光学における基本的な定義として「余暇と可処分所得を持つ者が、自発的な意思にもとづいて行う、どこかに行って帰ってくる移動」などとして理解されてきた現象・行為ですが、この「自発的」という点が不確かになりつつあるのです。もしかすると、「旅行に行きたい」という欲求や思い付き自体が、あらかじめ用意された選択による誘導の結果ですらあるかもしれないのです。

さて、こうした事態をどう価値判断するかという点は脇に置きますが、ビッグデータやAIによって旅や観光における「未来予測」が高まることによって生じるひとつの事態としての「偶発性の縮減」に最後に目を向けてみたいと思います。

旅や観光にハプニングはつきものであり、しばしばそれが魅力として語られてきたように思います。とくに今日ほど情報アクセスが展開していなかった時代では、宿の予約や交通手段の確保すら予測不可能な事態と隣り合わせだったといえましょう。旅先で思いもしなかった出来事に直面したり、地域の人や他の旅人との運命的な出会いがあったりすることは、旅や観光にスリルや予想外の楽しさをもたらしてくれます。旅に出るとき、どこかでそうした予測不可能なものごと(=偶然性)との出会いが期待されているのではないでしょうか。

パッケージツアーはもともと、すべての旅程を旅行会社がコーディネートしてくれる点にひとつの強みがあったといえます。旅行会社や添乗員によって旅や観光中のハプニングは可能な限り排除され、決まった行程のなかで観光を楽しむということができました。それは個人旅行や「旅的なもの」がはらむハプニングや予測不可能性を回避するという点で商品価値があったかもしれません。反対に個人手配の旅行や「旅」においては、パッケージツアーでは味わえない「生の」ハプニングやリスクが商品価値として現れていたともいえるでしょう。

ビッグデータやAIによる情報分析や未来予想の発達は、こうした旅や観光の魅力としての偶然性に何をもたらすのでしょうか。スマートフォンやPC、アプリを用いた移動手段や宿の予約にはもう偶然性はほとんど残されていない可能性もあります(口コミと実態が全然違った、といった事態はありそうですが)。パッケージツアーが担っていた予測制御の役割は、すでに個人の旅行者ひとりひとりがインターネットを介して(気づかぬ間に)達成できるようになっています。個人旅行や「旅的なもの」における、魅力や商品価値としてのハプニングやリスクは今どのようになっているのでしょうか。

いろいろな考え方がありうると思われます。どんなに情報分析技術が進展し旅が「最適化」されたとしても、旅から偶然性やハプニングが完全に排されることはないとも考えられます。それどころかビッグデータやAIに覆い尽くされない旅の予測不可能な領域がますます商品価値を帯びていく事態もありそうです。また、AIやビッグデータ側の機械的な「ミス」や「エラー」がハプニングとして置き換わり、魅力を帯びるような未来も想像できるかもしれません。旅における「フィルターバブル」は今どのように現れており、今後どうなっていくのか(どうなっていくべきなのか)。そうしたことを考えながらこれまでのご自身の観光や旅の経験を振り返ってみると、新しい発見があるかもしれません。

このテーマに関しては今後も検討してみたいと思います。

参考文献

  • E. パリサー(2016)『フィルターバブル:インターネットが隠していること』井口耕二訳、早川書房。

 

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