島根県・隠岐の島にある古民家ハウス「燻家(Kusuburuhouse)」。
サスタビ編集部が、実際に宿泊した際、「年貢ランチ」や「for ラオスキッズ」など、サステナブルな旅に繋がる仕組みをたくさん感じました。オーナーの岩井さんがどんな方なのか、なぜ隠岐の島で燻家をはじめたかなどをご紹介していきます。
島根県の離島にある「燻家」
オーナー岩井さん経歴
横浜出身の岩井さんは、2011年東北大震災のボランティア活動を機に、地域・環境などの社会問題に興味を持ちました。もともと旅行が好きだったこともあり、休学してオーストラリアでの海外ボランティア活動などに参加するようになります。
その後、たまたま隠岐島に行った友人から話を聞き、旅行の延長線のつもりで訪れたのが隠岐島との出会いだそうです。農業や林業を20代のうちにやっておきたいという想いも合わさり、隠岐島に移住を決めました。
「Kusuburuhouse」のきっかけ
移住した2015年の5月ごろ、「結局、自分になにができるのか」「なにを表現できるのか」などと、くすぶっていました。2016年になると、国内外の友人が遊びにくるようになり、大きな家を借りてシェアハウスのような形となります。
外から来る人と地元の人を交えて話しているうちに、「俺くすぶってんだよね」「俺も俺も」という形で“くすぶり”が連鎖。
誰もが将来について何かしら悩んでいたことを知り、家が大きかったこともあり、ゲストハウスとして運用することになったのが「Kusuburuhouse」のきっかけだそうです。
そもそも“くすぶる”とは
「燻り(くすぶり)=燃焼したいけど仕切れない感覚。」
世の中の人がもっている心の中の消えていない火種。そんな赤い火種が残っているような、ずっと何かに挑戦し続けたいという思いを大切にするため「燻るハウス」という名前をつけたそうです。
燃焼寸前、なにかのきっかけでボッと燃える。きっと燃えたいと思っているくすぶる界のリーダーでありたいと岩井さんは言います。
「Kusuburuhouse」の取り組み
「年貢ランチ」と「for Laos Kids」
Kusuburuhouseでは「年貢ランチ」と呼ぶユニークな活動があります。ランチの代金をお金で払うのではなく、お米で支払う仕組みです。支払われたお米は災害時の備蓄として公民館に保管します。
以前の豪雨災害の際、唐揚げなど食料を持ち寄り交換して、住民同士で支え合いましたが、各家庭でお米を炊くことが大変であり、もし災害など何か有事の際に備蓄したお米から、おにぎりを握り配布してもらう仕組みをつくりたいという背景があるようです。
この取り組みを総称して「for Laos Kids」と呼び、災害が起こらない場合は大阪で開催される子ども食堂に寄付を、それでもお米が余る場合はラオスで主催しているトゥンテンマーケットにておにぎりを作り、観光客向けに販売、利益はすべてラオスで日本人が運営する図書館に寄付する計画です。(ラオスでの図書館プロジェクト詳細はこちらから)
宿泊時のご飯は地元の人たちが収穫したもの
「Kusuburuhouse」に宿泊した際の夕食ですが、食卓には近所の人たちからいただいた野菜や魚が調理、提供されます。
地元の人たちは「余っている野菜なので使ってほしい。このままだと廃棄として畑に埋めることになる」との気持ちから、快く食材を持ってきてくれるのだそう。
魚が大量にとれたときは、漁師たちが「Kusuburuhouse」であれば、無駄にならずに消費できると、みんなから魚が届きます。
今後「Kusuburuhouse」をどうしたいか
お客さんであれば誰でも受け入れてきた時代から、サステイナブルを意識して利用してくれるようなお客さんを選ぶような時代になるではないかと考えているため、たとえば宿泊予約時の予約項目に「ゴミを捨てない」「島の環境を守る」などのチェック項目を設けてお客さんに意識してもらえる仕組みづくりも視野にいれています。
ほかにも「Kusuburuhouse」近くの家を購入して、「ひきこもりハウス」などの違う形の家を増やしていき、将来は友達とゆっくりしたい。友達といっても、もちろん訪ねてくるお客さんは友だちの範囲、そういう人たちと遊べる空間をいくつか作り続けていきたいとオーナーの岩井さんは言います。
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