文化と経済を仲介する観光 ―― 持続可能な社会のための観光学 Vol.5

文化を存続させていくには、お金が必要です。一方で、お金を稼ぐための効率を重視しすぎると、文化は本来の在り方から離れ、壊れていってしまいます。サブカルチャーが大衆化していく仮定で、元々あった個性や毒気を薄れていくように……。
地域文化も同じです。潤沢な税収がある一部の自治体を除けば、文化保全の予算は地域内では賄えません。地域外の人が落とすお金が必要になりますが、旅行者を集めようと観光地化すれば、地域の景色や暮らしは変質してしまいます。文化を守りながら、経済を活性化するにはどうすればいいのでしょうか?

観光地化とは何か

観光地化とは何か。皆さんは何と答えるだろうか。観光地化とは、ある地域に観光客が訪れるようになることを指すと思われるが、実際にはもっと複雑な現象である。観光地化とは何かを考えるために、私自身の研究の紹介をする。

下記の写真はベトナムの首都ハノイにあるトレインストリートと呼ばれる観光地である。街の真ん中を鉄道が走る様子は先進国ではなかなか見ることができないため、多くの外国人観光客が訪れるスポットになっている。上の写真は2013年の写真、下の写真は2018年の写真である。いずれも著者が撮影した。この違いに何か気づくだろうか。

2013年頃のベトナムの首都ハノイ

2018年頃のベトナムの首都ハノイ

筆者はこれまでトレインストリートの沿線の土地利用調査の定点観測を行ってきた。観光地化による地域変容を観察するのは、観光地理学の調査法のひとつである。2013年時点で沿線には八百屋、肉屋、総菜屋、バイク修理工などいわゆる住民生活に直結した生業が立地していた。

旅行者は少ないが欧米の若いバックパッカーが訪れていた。ベトナム人の日常生活を垣間見るには格好の場所だったのだろう。それが2018年には、土地利用状況が様変わりしていた。沿線はカフェ、土産屋の観光客向けの店にほぼすべて置き換わっていた。店を営む人は、住まいは別地域にある新住民に置き換わっていた。一方、観光客数は大幅に増え、国籍も多様化していた。まさにこの5年間でマス・ツーリズム化と共に住民不在のテーマパーク化が進んだといってよいだろう。

観光地化とは、観光客が増加して経済効果が高まる一方、地域住民の生活文化は崩壊して観光客のための商業空間へと変貌する現象なのである。こうした現象は世界中で起こっている。

観光地化とは、単に観光客が増える経済現象を指す単純なことではない。地域住民の生活文化が消耗する地域変容があることも見失ってはならない。というのも、その後トレインストリートのカフェや土産屋は当局によって排除命令が出され観光地が消滅するという顛末となってしまった。

背景には、多くの観光客が鉄道の運行に支障をきたし、また事故のリスクなど安全管理のためということだ。これは、オーバーツーリズムによって「コモンズの悲劇」が生じた典型的な事例と言える。コモンズの悲劇とは、多数者が利用できる共有資源が乱獲されることによって資源の枯渇を招いてしまうという経済学における法則である。

事業者は自社の利益を追い求め、鉄道の運行や観光地自体の魅力を高める全体最適や公共的な観点で行動しない。こうした悲劇を起こさないために、何ができるだろうか。

文化の同一性と動的平衡

少し遠回りになるが、経済と文化の関係について考えていこう。経済と文化は常に相反する対立概念なのだろうか。文化を守りながら経済を活性化する術はあるのか。また、観光はそのために何ができるだろうか。それを考える手がかりとして川越の蔵の街を事例にして検討する。

川越の蔵の街は、太平洋戦争時の空襲による戦火を免れたこともあり、伝統的建造物群が多くの人びとを惹きつけている。「小江戸」川越というキャッチフレーズは様々なメディアで取り上げられ、江戸時代の風景を再現できる場所として訪れる観光客も多い。

しかし、実際には江戸時代から現存する建物は、国指定重要文化財の大沢家一軒のみである。それ以外は明治26年の明治の大火以降に建てられた建造物である。大正時代に建てられた「埼玉りそな銀行」の洋館もある。また最近建てられた鉄筋コンクリートの郵便局は、建物とポストの色合いを蔵造り風にして全体の調和を保っている。「小江戸」とは、歴史的事実ではなく近年になって地域活性化の手段として使われるようになったキャッチフレーズである。

このように考えると、川越蔵の街は、江戸時代そのままが固定的に再現できる小江戸ではなく、長い時間をかけて社会環境に応じて徐々に変容してきた地域固有の文化的景観なのである。また、観光客向けの土産屋や飲食店が軒を連ねる中で、よく観察すると宅急便、洋服店、刃物屋、種屋など住民のための店舗も残っていて、観光客向けだけではなく住民のための空間も現存して全体調和を保っている。

江戸時代から現存する大沢家住宅(筆者撮影)
江戸時代から現存する大沢家住宅(筆者撮影)

川越元町郵便局(筆者撮影)
川越元町郵便局(筆者撮影)

伝統文化とは、固定的なものではなく社会環境によって絶えず再構築されるものであると考えるべきであろう。文化変容したからと言って、川越が独自の文化を失っていることにはならない。ではなぜ変容するのに文化の同一性(川越らしさ)を保つことができるのだろうか。

その手掛かりは、文化の動的平衡という概念で説明できると考える。これは、生物学者の福岡伸一が提示した「生命の動的平衡」を文化に援用した筆者の考えである。

動的平衡とは、絶え間なく細胞が分解(破壊)と合成(創造)を繰り返しながらも全体としては均衡を保つという生命体の様相を指す概念である。人間の身体も絶え間なく細胞は置き換えられ変容し続けるため、一年たてばすべての細胞は新しいものと置き換わっていると言われる。

その意味で、生命とは、静的個体ではなく動的流体であると言える。生命体が流体であるのに、均衡が保たれているのは、細胞同士の相補性が保たれているからだとされる。生物学において相補性とは、2つの構造が互いに鍵と鍵穴の関係にあるような補完関係性を意味し、ある細胞が置き換わっても全体の均衡は失われない状態を言う。

これを文化に当てはめると、同じような説明ができる。文化も生命体と同じように、時代や社会環境に応じて再構築され変容していくものである。伝統文化と言っても、発生当時からいまに至るまで変化しないものはない。世界最古の法隆寺も徐々に風化し、老舗の味も顧客に受け入れられるように時代に合わせて新しいものを取り入れていく。ある一部が置き換わっても、相補性が保たれれば全体としての文化の同一性は保たれる。

しかし、多くのパーツの置き換えが急激かつ大量に起こり、相補性が保たれなくなると、同一性を維持することは難しくなる。文化の変容が漸進的におこるのであれば、文化の同一性を認識することができる。それによって地域住民の文化資源に対する愛着や誇りも維持されるだろう。

文化と経済を架橋する観光

観光は自然資源や文化資源を魅力として観光者を引き寄せ、観光事業者が人を呼んで交通、宿泊、食などの旅行素材を提供して外部経済効果をもたらすものである。本来的に観光産業自体が観光対象となって価値を創出するものではない(氷河特急、リゾート、テーマパークのような例外はある)。そこで扱う自然資源や文化資源は、観光のためだけに存在するのではなく、地域住民のアイデンティティやシビックプライドにも寄与する地域環境であり、社会的共通資本である。

地震で崩壊した熊本城、焼失した首里城に涙した地域住民の姿を見れば、それは明らかであろう。文化は地域固有性と再生困難性という特徴をもつ資源である。その価値を高めるための保全コストを誰かが負担しなければ消耗してなくなる。

従って、公的支出だけに依存せず、観光者と観光事業者の取引から保全コストを生み出していくことが、本来の持続可能な観光のあり方である。その意味では、観光は外貨を稼ぐ輸出産業であると同時に環境産業だと言うべきかもしれない。ハワイ州観光局が先住民の文化再生推進団体を支援しているようにDMOも文化保全にも関与すべきである。

文化と経済を架橋する観光の概念図

経済は効率と比較優位を求めるが、文化は個性と固有価値を志向する。経済は流行を求めるが、文化は不易を望む。両者は相反する志向概念をもっている。経済ばかりに依拠すると、地域の固有価値を失うリスクがあることを肝に銘じるべきだ。人文資源(文化資源)の観光活用の意義は、経済と文化の二項対立ではなく両者をつなぐことにある。人も地域も経済がなければ生きてはいけないが、文化がなければ生きる意味がないのである。

経済は物質的な豊かさをもたらすが、心の豊かさを与えるのは文化である。人に個性があるように地域にも個性がある。没個性で均質性をスケールさせるモノづくりとは違い、観光は地域の固有価値に磨きをかけ、旅人の人生を個性的で豊かにする文化的営為である。観光は人と人をつなぎ、交流によって文化を破壊でなく新たな文化を創造するものにしなければならない。

文化仲介者としての着地型旅行業やガイドの役割

観光者が観光地に求めるものは得てしてステレオタイプな疑似イベントである。サムライ、ニンジャを求め、産地でなくてもSUSHI、MATCHAを求める外国人マス・ツーリストは今でも多い。

それは日本人がアオザイを着た店員がいるハノイのレストランで、本場ベトナム料理を求めて生春巻きやバインセオを食べたいと思うのと違いはない。それらがベトナム南部の郷土料理だと意識する人は多くはない。一方で地域固有の文化には、社会環境の影響を受けながら長い時間をかけて育まれてきた複雑な文脈がある。観光者に地域のありのままを提供すると、文化の違いから嗜好が合わないことも少なくない。地域が売りたいことと観光者が求めることにはズレが生じるのが常である。

そのズレを解決するのが文化仲介者としての着地型旅行業やガイドの役割である。文化仲介者には、観光者のニーズに応えつつ、一方で地域の固有価値を磨き観光者の期待を超える発見や意外性を提供する編集力や演出力が必要となる。観光者におもね、ブームを求める発地型旅行業にはそれはできない。地域に立地する着地型旅行業とガイドこそ、地域の固有価値を高める文化創造者になることができる。

そのためには、地域の文化財に対する学習はもちろん、一次産業、地場産業、食、温泉、伝統芸能・アートなどあらゆる地域資源を総動員させ、地域づくりの手段として観光を位置付けるべきである。

ブームを期待するのではなく、地に足の着いた持続可能な観光の手段として文化観光を位置付けることが出発点である。自分の地域の文化財を自ら歩けば再発見や学びも多いはずだ。文化観光の推進は、来たる質の高い観光再生の試金石になるだろう。

プロフィール
鮫島卓(さめしま たく)
駒沢女子大学 観光文化学類 准教授

立教大学大学院修士課程修了。専門は観光学。旅行と創造性・イノベーションの関係を研究。HIS入社後、経営企画、ツアー企画、エコツアー・スタディツアーなど事業開発、ハウステンボス再生担当。JICAの専門家としてミャンマー・ブータンで住民主体の持続可能な観光開発(CBST)を経験。2017年より駒沢女子大学観光文化学類准教授。帝京大学経済学部兼任講師。ANA旅と学びの協議会アドバイザー、澤田経営道場講師。

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