「文化的景観」とサステナブルな旅:旅人は個別具体性を探求する?

人びとの営みがつくり、維持する風景

文化的景観という言葉をご存じでしょうか。

この言葉は、国際社会が手をとり合うことによって人類の遺産を守り残していこうという理念で発足した、「ユネスコ世界遺産条約(世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約)」で登場する概念です。

「顕著な普遍的価値を有する遺産」を世界で一体となって守る、という世界遺産の理念から、サステナビリティやこれからの旅のあり方について学べることは数多くあります。今回の記事ではとくに「文化的景観」を取りあげて、その概要や背景を確認したのちに、サステナブルな旅との関係を探ってみましょう。

文化的景観(cultural landscape)

世界遺産委員会は、世界遺産を文化遺産、自然遺産、複合遺産の3つに区分しています。そのうえで、文化的景観について、それは「自然と人間の結合した作品」であり、「自然環境による物理的な制約や恩恵または社会的・経済的・文化的な外的/内的要因の影響を受けながらにして、人間社会とその定住が時間とともに進化してきたことを示すもの」と定義しています(1)。

人と環境との多様な関係性が、過去から受け継がれる形で現在もなお続いている、そのような景観のことですね。「文化」とついていますが、自然遺産においても当てはまります。自然遺産であったとしても、純粋な意味での自然環境だけを保護しようとするのではなく、その場所や周辺で生活を営む人びとの自然との関係性を尊重し、それを活かしながら守っていくことに重点が置かれています。

人と自然や環境とが結びついた景観。それはおそらく世界遺産に登録されるような場所に限らず、さまざまな地域やコミュニティにおいて存在しているものだと思います。そこに住む人がその場所とどのような関わりを持って生活しているのか。その場所の自然環境はその地の生活とどのように結びついているのか。これらのことを観察し、そのありようを尊重するような態度が、きっと「サステナブルな旅人」には求められることでしょう。

世界遺産条約に文化的景観概念が導入された理由

そもそも、なぜ文化的景観という言葉が世界遺産の文脈で必要とされたのでしょうか。

その理由のひとつは、それ以前までに登録されていた世界遺産に一定の偏りが見られたためです。従来の世界遺産は歴史的な建築物や遺跡群が多くの割合を占めており、しかも地域的にはヨーロッパの遺産に大きく偏向しているという特徴がありました(2)。

世界遺産とは先述のように「顕著な普遍的価値を有する人類の遺産」という重大な価値づけを付されるものですが、それが一定の地域に偏っていたり、特定の対象に限られていたりすることは、極端にいえば人種的な優劣論などにも結び付きかねない大きな問題を孕んでいます。

また、「文化」は建築や遺跡などを通してのみ表現され遺されるわけではありません。地域によっては口承で文化的な伝統を継承している場合もありますし、農耕や漁業といった生業において自然と特定の関係性を結びながら自らの文化を継承してきた人びとも存在します。

遺跡や教会、建築物だけでなく、人びとの日々の営みにおいて継承されてきた(形をもたない)文化や歴史や記憶、あるいは自然との関り方によって紡がれる文化もまた世界遺産に登録し、守っていく必要があるのではないか。そのような声がおよそ1980年代に高まり、世界遺産委員会はその対応として、1994年にタイ・プーケットで開かれた第18回世界遺産委員会にて「代表性・均衡性・信頼性のある世界遺産一覧表のためのグローバル・ストラテジー」(Global Strategy for a Balanced Representative, and Credible World Heritage List)を採択しました。

文化的景観は、そのグローバル・ストラテジーの一部として、いわば世界遺産リストの視野を広げる役割を担って提示されたといえるでしょう。

文化的景観として登録された世界遺産

文化的景観としての価値がはじめて評価され世界遺産に登録されたのは、ニュージーランドのトンガリロ国立公園です。

この場所はもともと1990年に自然遺産として登録されていた場所ですが、この地の先住民マオリの人びととこの場所の関係性が改めて評価され、1993年に自然・文化の複合遺産として再登録されました。その際、この国立公園は文化的景観としても登録されることとなったのです。

トンガリロ国立公園

 

ほかには、「フィリピン・コルディリェーラの棚田群」や、日本では「紀伊山地の霊場と参詣道」などが文化的景観のカテゴリーとして登録されています。みなさんは訪れたことはありますか?

コルディリェーラの山と棚田

熊野古道、紀伊山地の霊場と参詣道

 

重要文化的景観

ちなみに、日本でも2005年に「文化財保護法」のなかに「重要文化的景観」のカテゴリーが追加されました。

文化庁による文化的景観の定義は、「地域における人々の生活又は生業及び当該地域の風土により形成された景観地で我が国民の生活又は生業の理解のため欠くことのできないもの」です(3)。そのうち、都道府県や市区町村によって申請されその著しい重要性が認められたものは「重要文化的景観」として選定されることになります。令和4年3月15日の時点で,全国で71件の重要文化的景観が選定されています。

文化庁のHPから、各地の重要文化的景観について紹介ページにあたることができますので、ぜひチェックしてみてください。

文化的な景観は、旅先できっとたくさんみつかる

さて、ここまで世界遺産条約や日本の文化財保護法における「文化的景観」について、概要をみてきました。

他方で、そうした景観はなにも、世界遺産や文化財として特定の「お墨付き」を得た場所に限られるわけではないはずです。旅先でどこかを訪れるとき、ほとんど必ず、その場所にはそこで生活する人びとがいますし、その土地の風土や気候、動植物との関係性のなかで人びとの暮らしが営まれていることでしょう。その暮らしには「遺産」とか「文化財」といった名前は冠されていないかもしれませんが、文化的景観「的なもの」と呼べそうな営みや、その結果生まれた景色・景観がそこにあるといえるでしょう。いたるところ文化的景観あり。そのような姿勢は、旅において多くの「発見」をもたらしてくれるかもしれません。

生活を知る旅、あるいは生活を旅する旅

その地域で生活する人の視点にたってその地域を肌で感じてみること。地域の人びとと関わり、人びとの生活の仕方を知ろうとすること。人びとの「自然との向き合い方」や知恵を学ぶこと。そうして、人と自然との調和や対話、相互的な営みの蓄積として私たちの眼前に広がる文化的景観について知ることは、これから先の私たちの自然や環境との向き合い方を考えるうえで示唆に富むものだといえます。

この場所では人びとはどのような暮らしをしているのだろう?この地域の気候を地域の人はどう感じ、どう対話しているのだろう?そのような探究心とともに地域を旅し、人びとの生活に触れてみる旅は、「生活を旅する旅」などと呼べるかもしれませんね。

個別具体性の探究者としての旅人

最後に少し話は飛躍しますが、サステナビリティのための普遍的な処方箋はもしかしたら存在しないのかもしれません。あらゆる地域や場所に対して一律に適用することができるような、「こうすればサステナブルになる」という決定的な解決方法を想像することは難しいように思われます。

むしろ、固有の仕方で自然環境と向き合い、知恵を養い、景観を培ってきた蓄積がそれぞれの地域や集団、コミュニティには存在するはずです。そうした個別具体性を出発点とし、あくまで個別具体的なレベルにおいてサステナビリティを考えていくことが重要なのではないかと、執筆者は個人的に思います。

文化的景観、あるいは文化的景観的なものは、地域ごとに個別具体性をもった景観が、人の営みが、自然との関わり方がそこに存在することを私たちに教えてくれます。

旅人は、そうした個別具体性に惹かれているからこそ、様々な地域、様々なコミュニティへと旅をしたいと考えてしまうのではないでしょうか。行く先々がすべて同じような景色、同じような景観で、同じような事をしているとのだとしたら、私たちは旅に出ないかもしれません。旅人は、個別具体性を探究する主体なのであり、逆に言えば、だからこそ旅人は訪れた先の地域ごとの文化的景観(的なもの)を色鮮やかに発見していくことができる(そこからサステナビリティに向けたヒントを導くことのできる)可能性を秘めているのではないでしょうか。

注・参考文献

(1) https://whc.unesco.org/en/guidelines/ (2021年7月31日改訂)

(2)稲葉信子(2002)「世界遺産における文化的景観の保護」『文化庁月報』1:8-11。/稲葉信子(2012)「世界遺産条約の現状と今後」『月刊文化財』580:23-26。/山村高淑(2006) 「開発途上国における地域開発問題としての文化観光開発:文化遺産と観光開発をめぐる議論の流れと近年の動向」『国立民族学博物館調査報告』61:11-54。

(3) https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/keikan/

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