オーバーツーリズムはどこで起きる?
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オーバーツーリズムは、どのような場所で問題となってきたのでしょうか。
ニュースや学術研究で取りあげられるだけでも、すでに世界中で事例が存在します。
世界では、まず挙げられるのはヴェネツィア(イタリア)です。また、バルセロナ(スペイン)やアムステルダム(オランダ)の有名な観光地/施設でもたびたび観光客の集中や混雑が問題視されてきました。東・東南アジア・太平洋地域でも、タイのリゾート地やフィリピンのビーチにおいて、観光客が大量に押し寄せることによる地域の疲弊や環境悪化の問題が指摘されてきました。
日本ではまずは京都が有名ですが、北は北海道から(たとえば美瑛町の「青い池」など)、南は沖縄(市内の交通問題や、宮古島・西表島などでの問題も)まで、日本各所の著名な観光地でオーバーツーリズムの危険性が検討されています。
こうしてみるだけでも、オーバーツーリズムが発生する場所はきわめて多岐にわたっていることがわかります。観光都市、リゾート地、それから著名な観光施設(美術館等)だけでなく、自然が豊かな島や地方農山村においてもオーバーツーリズムは生じてました。
オーバーツーリズムが起きない場所はある?
オーバーツーリズムが起きなさそうな場所を、少し考えてみましょう。観光客が全く来ないような場所。来たとしても一定の人数規模に収まるような知名度の場所。観光とはかけ離れたような施設……どのような場所が浮かびましたか?私は、たとえば警察署とか、都市のコインパーキングとか、大学、オフィスビル、地域の市民会館などを想起しました。
たしかに警察署に観光客が押し寄せているような景色を想像するのは難しそうですね。しかし、刑務所を観にいくツーリズムもすでに存在していることを踏まえると、もしかしたら警察署ツーリズムは「あり得なくはない」というべきなのかもしれません。
これまでは観光地とは思われもしなかった場所が、観光の目的地になりつつある。それが、現代のツーリズム状況の一側面だといえます。工場や産業施設を観にいったり写真を撮ったりするインダストリアル・ツーリズム、「負」の歴史を観にいき学ぼうとするダーク・ツーリズム、価格の安い医療を受けに医療施設に行くメディカルツーリズムなど、じつにさまざまな○○ツーリズムが存在し、また日々生まれている状況があります。
どんな場所も「観光地」になりうる
聖地巡礼
大学や地域の市民会館、それからオフィスビルすら、つねに観光客の目的地になりうる可能性を有しています。
とても人気を博したテレビドラマや小説、アニメや漫画の舞台に登場した施設や場所をめぐる「聖地巡礼」が流行し、「どんな場所でもつねに観光地になりうる」という状況が生まれてきたといえます。
鎌倉の『スラムダンク』の「聖地」とされた江ノ電・鎌倉高校前の踏切では、日本人/外国人の多くの観光客が踏切とその奥に広がる海の景色を写真に納めようとし、踏切手前の道路に混雑をもたらしてきました。「映え」る画角で写真を撮るために車道にまではみ出したり、望む時間帯まで狭い道路でたむろしたりと、多くの問題を露見させてきた事例のひとつです。
この事例において、観光客が写真に納めようとする個々の要素は、言ってしまえばさほど特別なものではありません。「踏切」「海」「坂道」そしてそれらを横切る「電車」といった、ありふれた馴染みの深いものと言ってもよいでしょう。それらが、『スラムダンク』という作品と結びつくことで、多くのファンや観光客を引き寄せる場所へと変わったのです。
聖地巡礼については以下の記事もたくさん読まれています。
SNSによる拡散
また今日のメディア状況では、SNSもまたオーバーツーリズムに深く関わっているといえます。SNSにおいて「バズる」「映える」ことで、それまでは変哲もなかった場所が一夜にして観光客の写真撮影の目的地に変わってしまうという例が日本のいたるところで生じています。いわゆる「何が、いつバズるかわからない」状況においては、いかなる場所や施設も「いつバズるかわからない」すなわち「いつ観光地になってしまうかわからない」という潜在的なリスクを抱え込んでしまっているのです。
Instagramに投稿された一枚の写真によって、ただのポストが、ただの木々が、ただの空き地が、観光客で混雑する場所になってしまう。そのことはもちろん経済的な「可能性」として捉えることも可能でしょうが、地域側が一切の予想も準備もしていないなかで半ば突発的に状況が変化してしまいうるという点で、リスクも大きいと言わなければなりません。突如として状況を変えてしまうほどの影響力と怖さを、SNSはもっています。
オーバーツーリズムはどこでも生じうる
新型コロナウイルス感染症の影響によって一時的に鎮静化したオーバーツーリズムの問題も、観光が回復していくなかで次第に再浮上しつつあります。
そうしたなかで、「オーバーツーリズムは京都の問題でしょ」「自分たちの地域はオーバーツーリズムになるほど有名な場所じゃないから大丈夫」などと構えてしまうことは、たいへん危険だといえるでしょう。聖地巡礼やSNSの拡散によって、どのような場所も突発的に「観光地になりえる」以上、オーバーツーリズムの可能性から自由な場所もほとんどないと考えておく必要があります。
現在では、非常に多くの地域で観光による地域振興が取り組まれています。そのために地域の魅力をSNSで発信したり、場所にストーリーを付したり、ドラマなどのロケを誘致したりと、地域ではさまざまな取り組みがなされていますね。しかしそうした取り組みは裏を返せばオーバーツーリズムのきっかけにもなりうるものです。経済的・社会文化的な新興を目指すことと、オーバーツーリズムを回避すること。これらはコインの裏表であり、バランスをとり続けていかなければなりません。
旅先で「映える写真」を撮り、それをSNSに投稿することもまた、地域の助けになる可能性と「バズり」によるオーバーツーリズムの危険性とのコインの裏表であることは、旅人としてつねに意識しておかなければならないでしょう。ただ、「映え」「バズり」はそれ自体否定されるべきものとは決して思いません。模索していくべきは、「旅のシェア」を、旅先で訪れた地域への配慮や「次の旅人」への配慮と両立させていく方法なのでしょう。
オーバーツーリズムについてのさらに詳しい解説や、「サステナブルな旅人としてのSNSとの向き合い方」については、以下の記事もぜひご覧ください!
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