メディア
普段、多くのところで見聞きする言葉「メディア」。
広い意味では、情報や出来事を社会に流布するための「通り道(媒介)」のことを意味します。
特に情報メディアというときには、テレビやインターネット、ラジオ、それから写真や動画、ポスターなどを例に挙げることができます。視覚情報、音声情報など、あらゆる情報を誰かに伝達するものですね。
今回の記事では、観光(旅)とメディアの関係性について考えてみたいと思います。
メディアは現実を「シンプル化」する?
メディアにはいくつか機能があります。情報を伝えることはそのひとつですが、メディアのもっとも大きな特徴のひとつは、「現実の情報をシンプルにする」という点にあります。
たとえば一つの交通事故のニュースを考えてみましょう。ニュースでは、運転手が誰であり、その事故がいつどこで生じ、どのような被害を出したのか、またその事故の原因はどのようなものだったのかを伝えてくれます。その日の天候や交通情報、事故を引き起こしてしまった者やその被害者の情報、事故当時の現場の「再現」なども、詳しいニュースでは報じられることがありますね。
しかし、メディアから得ることのできる情報には当然、限りがあります。偶然その場に居合わせて目の前で事故を目にした場合と、その事故についての詳細な情報をテレビやスマホを介して知るのとでは、情報量に圧倒的な差があることは歴然でしょう(もちろん、「現場にいたからこそ知ることができない情報(ネットで見たからこそ知ることができた情報)」もあると思います)。
このことは、どこかに実際に観光に行くことで得られる経験と、その場所のガイドブックを読むだけの経験との違いを思い浮かべてみれば、明確ですね。
観光イメージとメディア:撮って終わりの観光経験?
しかし実は観光も、メディアによってそもそも経験が縮減=「シンプル化」されてしまっている可能性も指摘されています。
ダニエル・ブーアスティンという研究者による、「疑似イベント」という議論を紹介します(ブーアスティン 1964)。それは一言でいえば、私たちはメディアによって観光を事前に「疑似体験」してしまっており、実際の観光ではほとんど真新しい経験をすることができていないのではないか、という問題提起につながる議論です。
観光は、メディアがつくりだすイメージに支えられています。たとえば「沖縄といえば青い海」といったふうに、観光ガイドブックや情報サイトでは「その地域らしさ」がわかりやすくピックアップされることが普通です。「○○観光で行くべき場所△選」といった情報を紹介しているサイトは枚挙に暇がありませんし、ガイドブックの表紙はいつも「典型的」なその場所のイメージを描き出しています。そして多くの場合、私たちも観光に行く前にガイドブックや情報サイト、それからInstagram等のSNSで目的地について検索をし、行くべき場所や「映え写真」について情報を集め、計画を立てますね。
ブーアスティンという方が問題視したのは、そうして事前に「観光イメージ」に触れてしまうことで、実際の観光が「あらかじめどこかで見たイメージを再確認するだけ」の行為になってしまっているのではないか、ということです。ブーアスティンは旅人と観光客を対比し、旅人は自らの探求心によって「新たな現実」を発見するために旅をするが、観光客は事前に調べたイメージを観光中に「確認」するだけで満足してしまうとして、観光を批判的に捉えました(ブーアスティンの議論は後の観光研究によってさまざまに批判・再評価がなされています)。
「写真撮ったからもういいよ。次は○○に行こう」。パシャリと一枚写真を撮るだけで、すぐに次の目的地に行こうとする人びとは、観光地でしばしば見る光景です。この「撮って終わり」あるいは「撮ったから終わり」という観光的な振る舞いは、写真によって映像を記録したから後でいくらでも見直せるという安心感に加えて、これまで述べてきた「イメージの再確認」が関わっているのだと考えられます。「もう知っているから、もういい」「現実で一目見たから、もういい」「写真に撮ったから、もういい」。そうした「もういい」「もう満足」の気持ちは、私たちが観光をじっさいにする前に既にその場所について知ってしまっているからこそ、生じているということです。
観光地が「見るべき場所」のリストへと「シンプル化」され、そして私たちの観光の行動も「撮って終わり」「見て終わり」のシンプルなものになっていく。そのような「観光のシンプル化」と、メディアは深く関わっています。
「シンプル化」に抗する旅へ
「サスタビ20ヶ条」では、次のような提案をしています。
02 人気の場所以外の新しい見どころを発見しよう
04 徒歩・自転車で、ゆっくり旅先の土地を楽しもう
08 自然体験型プログラムに参加してみよう
09 交流型体験プログラムに参加してみよう
12 地域の文化活動に参加してみよう
18 歴史館や博物館などに訪れよう
こうしたことに取り組んでみることで、「撮って終わり」や「確認して終わり」の観光とはひと味違う経験を得ることができると同時に、地域に良い影響をもたらすチャンスを広げることができる可能性があります。
観光は、いまやとても「簡単」になっています。数分で航空機や新幹線の予約をすることができ、当日や翌日にそれらを利用することもできるようになっています。また情報収集も手軽に行うことができます。そうした手軽さは、他方で、私たちの観光や旅が地域にもたらす様々な影響について内省する時間と機会すら、縮小させてはいないでしょうか。「写真を撮って終わり」「事前に知った情報を確認して終わり」といった観光のあり方は、もしかしたらすぐに立ち去るぶん現地に与えるマイナスな影響は少ないかもしれませんが、他方で「現地を「消費」する」という問題とも結びついてます。ここでいう「消費」とは、相手に対して何ももたらさずに自分だけ満足してしまうことや、一方的に相手や地域を「見る」「写真に撮る」(反対に地域側は「見られるだけ」「撮られるだけ」)という力関係を引き起こしてしまうことを指しています(もちろん、ブーアスティン的な旅と観光の恣意的な対比(観光を「低俗」で「経験の浅い」ものとし、旅を「高尚」で「経験の深い」ものとすること)には問題も多いです。エリート主義的ですし、地域に長く滞在したり地域に深く関わろうとしたりすることがもつデメリットを不可視化してしまう危険性も存在します)。
旅や観光が地域にもたらすメリットやデメリットについて意識的になることが、サステナブルな旅と社会の実現に必要不可欠な第一歩です。そしてサスタビ20ヶ条で紹介しているように、ガイドブックや情報サイトとは異なる魅力を発見しようとしたり、地域の人びとと関わることで何か良い影響を地域にもたらそうとしたりなど、「写真に撮って終わり」では達成ができないようなサステナブルな実践に旅をつうじてトライしていくことが大事かもしれません。
参考文献
ブーアスティン、ダニエル(1962)『幻影の時代――マスコミが製造する事実』星野郁美・後藤和彦訳、東京創元社。
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