観光は平和へのパスポート?旅と観光がつくる「寛容さ」の可能性

観光と文化、平和づくりとサステナビリティ

旅先の「文化」に触れることは、旅の醍醐味のひとつですよね。地域のお祭りを見学したり、生産品を購入したり、体験プログラムに参加してみたり。旅先で出会う「文化」は、驚きや発見に満ちていて旅人をワクワクさせてくれます。

そのワクワク感は、「もっと知りたい」「理解したい」といった好奇心や畏敬の念と結びつき、異文化理解の出発点を築いてくれる可能性をもっています。旅や観光が世界的な交流や平和構築、異文化理解を深めうる世界最大の平和産業と呼ばれるゆえんです。

観光は平和へのパスポート(Tourism, Passport for Peace)」。国連が1967年にこの標語を掲げ、同年を国際観光年と定めてから、旅や観光をつうじて世界を良くしていこうという認識が世界的に共有されてきました。

観光や旅にともなう人の移動は確かにエネルギーを消費します。サステナブルな社会を考えるうえで、観光や旅における移動とエネルギーの問題は重要であることはいうまでもありません。しかし、だからといって観光や旅がもつ平和構築や平和維持への可能性を手放すことは早急です。むしろ、サステナビリティの問題を自然環境やエネルギーの問題としてのみ捉えるのではなく、たとえば人びとの「他者への寛容さ」や異文化理解の深度といった側面から、「サステナブルな社会」やサステナビリティを想像していくことも重要ですね。

理解とステレオタイプ

しかし、旅や観光における好奇心や他者へのまなざしが、つねに寛容さと結びついているかと言われれば、残念ながらそうではありませんでした。

よく知らない「文化」を「遅れている」と捉えてしまったり、「自分とは相容れない」と線引きしてしまったり、ただたんに面白おかしく「消費」してしまったり……旅人や観光者はしばしば、旅先の社会の人びとに対して寛容とは異なるまなざしを注いできてしまった側面があります。

また、たとえば合掌造りの家屋が非常に有名な世界遺産「白川郷」の例のように、地域住民の家屋や敷地内に観光者が侵入しトラブルとなるといった問題は良く知られていますが、それらの多くはもしかすると「観光者の純粋な好奇心」が引き金となっていたとも考えられます。

旅や観光は、旅人と地域社会との肯定的な出会いの場となる可能性をもつと同時に、少し間違えば両者の間に問題を生んだり、不理解や断絶を引き起こしてしまったりする可能性もまた有しているのです。理解と不理解、交流と摩擦、発見とステレオタイプ(他者への偏見や、固定観念)。旅人の振る舞いによって、前者はいともたやすく後者に横滑りしてしまいます。

ステレオタイプは「更新の旅」の出発点に

不理解ではなく理解を、断絶ではなく交流を、ステレオタイプではなく発見を、旅や観光において創出していくことがサステナブルな社会やサステナブルな旅において必要ですね。

ただしステレオタイプといっても、「旅先の地域に対して何らかのイメージを抱くこと」それ自体が悪いわけではまったくありません旅や観光ではあまり知らない場所に行くことが多いですから、私たちが旅先の地域についてたくさんのことを想像しようとするのは普通のことです。またガイドブックやインターネットで下調べをして、その地域がどんな場所なのかイメージを膨らませますよね(それが楽しい!という人も多そうです)。

ちなみに「サスタビ20ヶ条」にも「03 事前に旅先の歴史・文化をしらべておこう」という項目があるように、そうして「イメージを持つこと」はそれ自体としては悪いものではなく、むしろ旅をより豊かにするものでもあります。

またそうした地域の「イメージ」は、観光地や地域の側が積極的かつ戦略的にに創出し、旅人にアピールするものでもあります。「私たちの地域にはこういう特色があるよ」「こういういいところがあるよ」「ここに来たら、こういう体験ができますよ(あなたの望む「あなた」になれますよ)」と、観光地の側がイメージを作り出して、そのイメージを求める観光客や旅人を呼び込もうとしています。

そうしたことを考えると、観光地や地域、訪れたことのない場所に対して先行的なイメージを持つことは当たり前のことであって、むしろ、瞬発的に思い浮かべられるような典型的なイメージを出発点に据えて、そのイメージに引きずられながらにせよ相手への理解を更新していくことが観光におけるコミュニケーションの現実なのだ、というほうが適切なのだと思います(※1)。

重要なのは、イメージを「出発点に据える」ということ、そして「実際の旅や観光を通して当初のイメージを更新していくこと」なのでしょう。

「ガッカリ…」という鏡

言い換えれば典型的なイメージや先入観を持つことそれ自体は問題ではなく、むしろ問題なのはそうしたイメージを「固定化」してしまったり、自分の抱いているイメージを相手に押しつけてしまったりすることだといえます。そこに、相手に対するイメージを対話の出発点にするか、それとも固定化したステレオタイプに留めてしまうのかの分かれ道があるのです。

期待していた景色や味を楽しむことができず「ガッカリ…」してしまったり、あるいは予想以上に「観光地化されている」景色に辟易としてしまったりすることは、旅人であれば少なからず経験してきたことだと思います。そのような感情を抱いたときにはぜひ、「なぜ自分は今ガッカリしたのだろう?」と自分に問いかけてみてください。

ガッカリした、すなわち「期待外れだった」という感情は、自身があらかじめ作り上げた「期待」や「相手へのイメージ」からの距離によって生じるものです。つまり自分が「ガッカリ」したそのタイミングは、自分がどのような期待を観光地や地域に寄せていたのか、どのようなイメージを抱いていたのかを自覚するチャンスでもあるのです。「ガッカリ」という感情でその旅や観光を終わらせ、その時点で地域や場所へのイメージを固めてしまう前にできることはきっとあるはずです(その感情を「映し鏡」にして自分を振り返ってみたり、ほかにその場所に魅力や発見がないか探してみたりなど)。

余談ですが、近年では「がっかり名所」として人気を博している観光地や施設もあるようです。「がっかり名所」は、期待外れであることを期待する、あるいはガッカリすることによってガッカリしない(満足する)という倒錯があらわれていて面白いと思います。「がっかり名所」ではもしかすると、「予想以上に良い場所だった」という経験が人びとを「ガッカリ」させるのでしょうか。そのとき私たちは、その場所に「もっとガッカリな場所であれ」と要請してしまうのでしょうか。観光における「期待」を考察する際には、興味深い事例なのかもしれません(もっと知りたい方は※2を参照ください)。

また以前の記事「サステナブルな文化ってどんなもの?」でも紹介したように、地域の「文化」は(もっと極端にいえば地域それ自体)変化に開かれているものです。「ガッカリ」の感情や、地域に対する固定的なイメージでは、その変化についていくことはできません。それどころか、変化してしまった「文化」や景観を見て「観光地化されてしまった」と残念に思う声や、「変化してしまったからニセモノだ」「伝統が失われてしまった」などといった語り口を生み出してしまいます。

 

そうした語り口は、地域や観光地において「今」を生きる人びとの姿や、観光との関わりのなかで創造・変化していく「文化」や景観のありようを見えなくさせてしまいます。

もうひとつ余談ですが、私たちがサステナビリティを意識するとき、どうしても「今あるものを残すこと」や「変化させないこと」に力点を置き、変化や流動性を固定化しようとしてしまう側面があるかもしれません。変化とサステナビリティ(持続性)をどう両立させることができるのか。とても難しい課題が残されています。

あらかじめ生み出された期待のハードルや、地域の変化を固定化しようとするまなざしは、どちらも一方的に観光地や地域に対して投じられるものです。その一方通行は、冒頭で述べたような観光の可能性、すなわち観光をつうじた相互理解や対話、平和構築の促進や「他者への寛容さ」の可能性とは相性が良くなさそうです。

何度も述べてきたように、地域や観光地に対してイメージを抱いたり、あるいは「ガッカリ」とした感情を旅の最中で感じたりすることは、それ自体として悪い事ではありません。重要なのはイメージを「出発点に据える」ということであり、「実際の旅や観光を通して当初のイメージを更新していくこと」。

その意識を持つことだけで、大きな意味があると考えられます。また、具体的な実践としては、たとえば「サスタビ20ヶ条」でいえば以下の項目が関わるでしょう。

「09 交流型体験プログラムに参加してみよう」

「12 地域の文化活動に参加して見よう」

「18 歴史館、博物館などに訪れよう」

これらに共通している心構えは、「旅の最中でつねに新しい発見をしようとすること」や、「地域の人と交流したり、体験や施設で学んだりすることで理解を更新していこうとすること」にあるといえます。固定化を回避し、更新していくこと。つねに変化の出発点にすること。そのような意識が、旅と観光を平和のために役立つ実践へと方向づけてくれる可能性があります。

私の知る旅人が言っていた言葉ですが、「もはや、旅にはゴールなどない」というマインドが大切なのかもしれませんね。

※1 ただし、観光地や地域の側が自らイメージを作り出しているといっても、そこにはさらに「観光地や地域の “誰が” イメージを作っているのか」という問題が残っていることは触れておかなければならないでしょう。これは「表象=代表性(どちらも英語はrepresentation)」の問題(あるいは「観光のまなざし」の問題)であり、どちらも観光/旅をクリティカルに考えるうえで重要なトピックです。興味のある方のために、前者の「表象/代表性」と観光の論点については山下晋司編(1996)『観光人類学』新曜社.を、後者の「観光のまなざし」についてはジョン・アーリ/ヨーナス・ラースン(2014)『観光のまなざし〔増補改訂版〕』加太宏邦訳、法政大学出版局.をひとまず挙げておきます。

※2 遠藤英樹(2022)「がっかり名所」須藤廣・遠藤英樹・高岡文章・松本健太郎編『よくわかる観光コミュニケーション論』ミネルヴァ書房、pp.112-113.

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