サスタビを知る「サステナブルな旅って、なに?」―そんな素朴な疑問について、さまざまな視点から考えます。

サステナビリティは「選択」を伴う?立ち止まって考える

サステナビリティは「選択」を伴う?立ち止まって考える

サステナビリティ:敢えて問い直してみる

持続可能性。サステナビリティ。その重要性はこんにちでは広く共有され、わたしたち一人ひとりが日頃から取り組めそうなことから、行政や企業がときに国境を越えて試行錯誤すべき規模の変革まで、持続可能な社会の実現に向けてさまざまな取り組みが模索されています。

将来を生きる世代のニーズを損なわないようにすること。壊し、消滅させないように気をつけ、守り、維持しようとすること。自分本位で物事や欲求を考えるのではなく、他者の視点にも気を配ること。サステナビリティという言葉には、そうした大切な想いや豊かな考え方がたくさん込められているように思います。

他方で、このサステナビリティという考え方それ自体に、なにか問題がある可能性は、本当にないのでしょうか。疑いの余地なく、誰しもによって追求されるべき理念なのでしょうか。

その答えは、まだわかりません。しかし、敢えてわざと疑いを投げかけてみることによって、サステナビリティという言葉をより深く、より多角的にとらえ、その理念的な価値を鍛え上げていくことができるかもしれません。大切だと思われている概念・理念を、より大切にしていくためには、ときには信じることだけでなく、問い直してみることも有意義でしょう。

今回の記事ではひとつの試行として、「サステナビリティの追求は選択を不可避に伴う」という点について、批判的に(クリティカルに)考えてみたいと思います。

「サステナビリティの追求は選択を不可避に伴う」。どういうことでしょうか。

ポリティクス:選別・取捨選択される価値や「らしさ」

何かの目標の実現にあたって、その過程で対象や価値が取捨選択されていく状況のことを、ときに「ポリティクス」と呼びます。異なる考え方やニーズ、価値がその場に複数あるときに、それを調整したり、配分しなおしたり、序列化・選別したりすること。まさに「政治」です。

観光と深く関わる例でいえば、「○○地域らしさ」「地域の特色」といった「価値」もじつは、多様な事柄のなかから特定の立場によって取捨選択された結果、すなわちポリティクスの産物にほかなりません。観光は、ポリティクスが顕在化する典型例のひとつというべきでしょう。

その意味で、「伝統」や「地域固有」「本質」といったものも、はじめからそこに存在するわけではありません。それらは特定の選別作業の結果として、ガイドブックやSNSに載っているといえます。

 

植物と影

ひとつの場所や施設でも、さまざまな価値の交錯が生じます。

  • 地域住民が感じる価値(もちろん地域住民もまた一様ではありません)
  • 観光客が求める価値
  • 行政や観光関連産業が押し出したい価値
  • ガイドブックで紹介される価値

などなど、たくさんの立場にもとづく考えや価値、意図がそこにはあり、それらが摩擦を生んだり、観光的な価値(あるいは商品価値)によって上書きされたり、選別されたりするダイナミズムが存在します。

何を守るか。何を残すか。何を持続可能にするのか。それは、誰が決めるのか?

サステナビリティにおいても、ポリティクスは深く関わります。まず、何を持続可能とするかという対象をめぐって、すでに取捨選択がなされています。後世に残すべきもの、大切にすべきもの。それは時代によって、人によって、場所や文脈によって変化しうるものであり、何を持続可能にするかという意志はときとして衝突しうるものだといえるでしょう。今は持続可能にすべきとされている対象が、いつかはそうではなくなる可能性も否定できません。

水は大切にしよう、二酸化炭素排出量やプラスチックを減らそう、クマを守ろう、○○のお祭りを後世に伝えよう、伝統野菜を守ろう‥‥‥こんにち、世の中にはたくさんの事柄がサステナビリティとの関連で語られています。そうしたアイデアそれぞれはとても大切だと思いますし、それを守りたいと思った特定の文脈や経験がそこにはあるのだと思います。個々の取り組み自体は、言うまでもなく素晴らしいものです。

他方で、何かを守り持続可能にするために、別の何かを捨て去り排除することはおそらく不可避です。農作物を守るために特定の生き物を「害虫/害獣」と位置づけるように。また、何かが「地域の残すべき特色」として日の目を浴びたとき、それがその地域にあった別の何らかの価値に影を落とすように。

維持すべき、守るべきとされる対象は、誰が決めるのでしょうか。誰が決める権利を持つのでしょうか。

「探究者」としての旅人へ、ふたたび

しかし、こうした考えを突き詰めると、何も言えなくなってしまうかもしれません。サステナブルな取り組みについても、何もできなくなってしまうかもしれません。何かを守ろうとするときに別の何かを犠牲にしているとして、それが不可避であるならば、わたしたちはどうその事実に向き合えばいいのでしょうか。観光にも、サステナビリティにも、両方にポリティクスの問題が絡んでいるならば、それらが合わさったサステナブル・ツーリズムはじつにやっかいです。

当然のごとく、答えはありません。とても難しい問題であり、むしろ現場で特定の取り組みに励む人びとからは「そんなこと考えてどうするの?」と一蹴されてしまうものなのでしょう。

しかし、これは私見ですが、やはり「目配せ」と「問い直し」の態度は必要なのだと思います。どんな価値にも表面と裏面がありうること。一見して、疑う余地のなさそうな「善さ」にも、何らかの問題や課題があるのではないかと、一歩立ち止まって考えてみること。サステナビリティも、そのようにして批判的(=クリティカル)に問い直すことをつうじて鍛え上げられていく概念・理念なのではないでしょうか。

今回はポリティクスを例に挙げて検討してみましたが、サステナビリティについては、ほかにもいくつか考える筋道があるように思います。「持続可能な観光」が、観光開発を持続させる方便になっていないか。サステナビリティは、ほんとうに万人にとって重視されるべき普遍的な理念なのか。将来世代のニーズを、現在世代の私たちが計ることは可能なのか‥‥‥

いま自分に提示されている価値や「らしさ」の後ろには、取捨選択によって背景に追いやられ見えにくくなってしまっている別様の価値が控えているかもしれない…そうした「かもしれない」を問いつづけ、別様の可能性につねに意識的であること。その批判精神を「旅」と呼ぶことはできないでしょうか。

旅人は、「誰も知らない景色」や「自分だけの経験」を追い求めてきた側面もあると思います。サステナビリティという考え方や理念にも、未踏破の景色がもしかしたらあるかもしれません。それは、あえて立ち止まり、問い直し、探究するプロセスによってのみ見いだされる旅路でしょう。サステナブルな旅の実現にあたって、こうした問い直しの旅もまた必要なのかもしれません。

この記事を書いた人

石野 隆美

立教大学大学院観光学研究科、博士課程後期課程に在籍中。専門は文化人類学、観光研究。北海道札幌市出身。論文に「ツーリスト・アクセス――「アクセス」概念が拓くツーリスト像の検討に向けた理論的整理 」(『観光学評論』9(2)、2021年)など。また分担執筆に『よくわかる観光コミュニケーション論』(ミネルヴァ書房、2022年)、『アフターコロナの観光学――COVID-19以後の「新しい観光様式」 』(新曜社、2021年)など。

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