「多様性」と「人それぞれ」:旅の役割

多様性は個人主義を押し進めてしまう?

現代は、「多様性の時代」と称されます。

多様な趣味嗜好、考え、立場が存在することを前提とした人間関係や社会の仕組みを模索することが、今日の社会で重要となっています。

「多様性が大切」というアイデアは、多くの人びとに認識されているといえるでしょう。「ちがい」に対して優劣や上下関係を見いだすことで差別や競争的な考え方が生まれてしまいます。「多様性」はそれに対して、いわば「みんなちがってみんないい」という考え方に立ちます。異なるもの、「ちがい」の間にはけっして優劣などなく、それぞれが相対的に、個別の大切な意味を持っていると考えます。「人それぞれ」という言葉が分かりやすいですね。

しかしながら、「多様性を大切にすること」と、社会的な分断はじつは表裏一体でもあります。

話し合いやディスカッションはすべて「人それぞれでいいじゃない」で終わらせてしまうことが可能です。「ヨソはヨソ、ウチはウチ」。「私たちとは違う世界なのだから、そっとしておこう」。

SNS上では実に多様な趣味嗜好のコミュニティも生まれていますが、別の角度から見れば、それは「島宇宙」にも見えてくる様相を呈しています。タイムラインはすでに個人の趣味嗜好に合わせた情報を選んで私たちに提示しており、「私たちとは違う世界」の情報は視界にあまり入りこんできません。異なる考え方や、異なるコミュニティが存在するという事自体が見えにくくなっていたり、あるいは見てみぬふりすることがとても簡単になっていたり。「嫌なら見るな」といったよく聞く言い方は、そのような「島宇宙化」を象徴しているように思います。

「ちがい」があってもいい。けれど「私たち」には影響しないでほしい。私たちも好きにするから、あなたたちもどこか遠くで好きにしていて……そのような「断絶」に、課題はないでしょうか。もし「サステナビリティ」をめざす取り組みにすらそのような「人それぞれ」の考え方が根差してしまったら、どのような問題が生まれるのでしょうか。

選ぶ自由と個人主義

ここまで述べてきた話を、別の角度からも捉えてみましょう。商品とそれを買う私たちの関係性の変化という角度から。

ときは20世紀前半から中盤、近代の工業社会。それは「地域」が「国」として統合されていく時代とも考えられます。

それ以前では、地域ごとに、たとえば季節感や日の出・日の入りの時間に応じた異なる生活リズムが存在していました。農耕や地域の行事、そして人びとの一日の生活の細かな営みまで、「時間」と「行動」は、それぞれの地域の地理的・環境的な要素と結びついていました。しかし機械時計が広がり、全国で一律の「標準時間(クロック・タイム)」が定められると、「朝9時から職場や学校に行き、12時にお昼ご飯を食べ、18時に帰宅する」といった生活リズムが全国さまざまな地域に統一されていくことになります。

それと同時に、交通機関が国内に張り巡らされ発展していくことで、地域と地域は結びつき、高速で行き来することができるようになりました。時間だけでなく、物理的な距離としても関係がより深く結びついたといえます。こうした出来事はしばしば「時間と空間の圧縮」(ハーヴェイ 1999)と表現されます。時間と空間を統べることで、時間によって区切られた効率的な労働を行う工業社会は進展していくことになります。また、新聞などの「メディア」が展開したのもこの時期であり、国内の遠く離れた出来事もすぐに国民全体に知れ渡るような情報環境が生まれはじめ、人びとはますます「国民」としての集団意識を抱くことになります。ラジオやテレビは、それを決定的に加速させた技術といえます。

こうした20世紀前半から後半にかけての工業社会の展開を土台として、戦後の高度経済成長においては大量生産・大量消費がすすみました。テレビ・洗濯機・冷蔵庫からなる「三種の神器」が一般家庭に普及したのがこの時期です。他方、以前の記事で自動車産業の構造の変化を紹介したように()、規格化された商品を大量に作り国民が皆それを買うという状況は次第に変化していきます。人びとの最低限の必要が満たされた後、到来したのは「差異化」の波です。

「他人がもっているものを自分も持ちたい」という気持ちは、「誰も持っていないものを持ちたい」という気持ちへ変化しました。機能性が重要であった商品は、人びとがみなそれを購入し「必要の論理」を満たすことができるようになるにつれて、機能性ではなくデザイン性やブランド性、オリジナリティによって商品価値を帯びるようになっていきます。商品に「物語(ストーリー)」を持たせたり、他の商品と差別化した特徴を持たせたり、あるいはそれを所有することで他者にアピールできるようになるような「顕示的」な性格(高級感や希少性など)を付与したりすることで、人びとの「買いたい」「持ちたい」を刺激していく。消費社会の高度化が進展します。

こうして、私たちは日々商品の「多様性」と触れ合っています。商品棚は「物語」に溢れています(その揺り戻しとして、「ノームコア」といった流行もまた「差異化」の現象のひとつとして展開していくといった例も)。私たちはじつに多くの選択肢のなかから、「選ぶ」という行為を日々繰り返しているともいえます。

社会学者のジグムント・バウマンという人は、こうして人びとが「他人と違うもの」を選ぶようになるにつれて社会は「個人化」していくと述べ、警鐘を鳴らしています(バウマン 2001)。バウマンはそのような個人化する社会のことを「リキッド・モダニティ」と呼び、「社会」や「コミュニティ」といった共同的・集合的なつながりが個人主義によって液状化し溶けてしまうこと、そしてそのことが現代に生きる私たちに「不安」をもたらしていると論じています。個人主義が進むことで、社会的な紐帯や共同的なアイデアがバラバラになっていってしまうということですね。

商品価値/ステータスとしてのサステナビリティ

「ちがい」があることによって、モノが商品価値を帯び、自分と他者を差異化する道具になる。しかしその商品すら「他の人も買っているかもしれない」し、流行のなかですぐに「古臭く」なってしまうかもしれない。そうして人びとを「次はどんな「ちがい」を買うべきか」という問いに急き立てるのが、今日の高度な消費社会の仕組みのひとつといえます。

そしてここで注意しておきたいのは、「サステナビリティ」もまたそのような消費社会のサイクルを加速化させる「商品価値」となりやすいという点です。「ウォッシュ」という言葉はそれを端的に示す言葉ですね。すなわち地球の持続可能性を維持するという目的があり、それを目指すための手段としてサステナブルな取り組みがあるはずなのに、いつのまにかそれが転倒し、商品を売ったり自社イメージを高めたりするといった別の目的のために「サステナビリティを道具にする」ようなビジネスが存在することが指摘されています。

また企業活動だけでなく、私たち一人ひとりにも関係するところがあります。つまり、「サステナビリティに気を付けている」ということが他者に対する優越感を得る手段になっていたり、自分と他者を差異化するための新しい「記号」になってしまっていたりすることはないでしょうか。そのような考え方は、もしかすると消費社会の術中にハマってしまっている側面もあるかもしれません。

もちろん「考え方はどうあれ、結果的にサステナビリティの取り組みであるならば問題ない」という意見もあることでしょう。それも間違いではないと思います。しかし、冒頭で述べた「個人主義と「人それぞれ」」という観点からみると少し注意が必要です。すなわち、「サステナビリティに関心をもつ」ということが個人の趣味嗜好レベルに位置づけられ、その意味が自分のアイデンティティや「ステータス」を示す道具として縮小されてしまう場合を考えてみましょう。そうして「サステナビリティ」が「個人主義」に飲み込まれてしまうと、「あの人はサステナビリティに関心を持っているけど、私は興味ない」「私はサステナブルに生きていて他の人より偉い」といったかたちで、自分と他の誰かのあいだに境界線を引いてしまったり、場合によっては優劣関係すら持ち込んでしまったりする危険も少なくありません。

そもそも、サステナビリティの問題はまさしく「地球規模」で生じているものであり、そうした個人主義的な方法で解決できるようなものではないと考える必要があるでしょう。団結や、共通の目標のもとで取り組まれなければ対処が難しい問題であるはずです。利己的で個人主義的な動きではなく、利他的で、協働的なプロセスのもとでサステナビリティを模索していくことが必要であることは言うまでもないと思われます。サステナビリティに関心を持ったり、サステナブルな行動や消費に取り組んでみたりすることが「他者との差異化」を果たすような「特別なもの」ではなく、「普通でありふれたもの」となっていくことがきっと理想的ですよね。

サステナビリティが「人それぞれ」の問題になり、「サステナビリティに関心のある人」と「サステナビリティに関心のない人」で分断や島宇宙化が生まれてしまうことは避けたいですね。

旅と「人それぞれ」

異郷を訪れ、慣れ親しんだものだけでなく「今まで知らなかったもの」にまで触れようとする旅や観光に、そのような分断や島宇宙を繋ぎ直し、架橋する可能性はないでしょうか。たしかに旅や観光はある種の「差異化」から出発する営みです。観光に行きたいという思いは、行先に「差異」があるから生まれるものともいえます。よく知った身近な場所の観光(マイクロツーリズムなど)も、慣れ親しんだ場所で新しい出会いや発見という名の差異を探そうとする行為という側面があるでしょう。

以前、「旅と個人主義」のテーマ記事で紹介したように(旅と観光、そして社会:個人主義を乗り越える | サスタビ (sustabi.com))旅や観光は本来的に「自分探し」や「自分の欲求の充足」といった「自分の問題」として個人主義的に取り組まれることが多い営みです。人びとがそれぞれの関心や欲求にもとづいて場所を決め、好きなことをし、そして満足して(あるいは失敗して)帰ってくる。そのような個人主義的な性格ゆえに、「旅や観光をつうじた社会運動」と呼べるような活動や運動が生まれてこなかった側面があります(詳しくは前掲記事とその参考文献をぜひご覧ください)。

「サステナブルな旅」を個人の挑戦や満足で終わらせず、それを「社会運動」と呼べるような集合的な動きにしていくこと。その可能性を模索することが大切かもしれません。「旅や観光をするときには、少しでもいいからサステナビリティに気を配る」といったレベルでもいいので、旅人や観光者の間に共通認識が育まれていくことが望ましいですね。最後に一緒に問いましょう。「では、どうすれば?」

参考文献

  • デヴィッド・ハーヴェイ(1999)『ポストモダニティの条件』吉原直樹監訳、青木書店。
  • ジグムント・バウマン(2001)『リキッド・モダニティ:液状化する社会』森田典正訳、大槻書店。

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